エンパワメントされない、ジャニオタについての話

私は12歳の時から23歳の今に至るまでずっと誰かしらのジャニーズアイドルが好きだ。自担のいない時期もあったし、中高生の頃は在宅、大学1〜3年生までは茶の間だったから、私がその間ずっと「ジャニオタ」であったと言うと、少し語弊があるかもしれない。けれど、どの時代も私は、ジャニーズアイドルなしには生きられなかった。切実にジャニーズアイドルが好きだった。亀梨和也が、堂本光一が、錦戸亮が、宮近海斗が、いなかったら生き抜けなかった。何を? 資本主義社会を。

大学生になって、自己紹介で「趣味:アイドル」と書いていた頃、小さな悩みがあった。
「アイドル好きなの? 私も乃木坂好きなんだよね」とか「FTISLANDだったら誰が好き?」と話しかけてもらえたとしても、彼女たちの好きなアイドルのことが私にはわからないことが悩みだった。
私はジャニーズ以外のアイドルに自担を作れなかった。
何度かハマろうとしたことはある。東方神起が好きな友達にCDを貸してもらったり、乃木坂工事中を見てみたり、最近もハロプロにハマれないかと思ってYouTubeを漁ってみたりした。けれど、ハマれなかった。ジャニーズのアイドルには何度もハマっているのに、その度に新鮮な新規ハイを味わうのに、それ以外のアイドルには自担ができない。また、アイドル以外にもフットボールアワーの後藤さんに唐突にハマったり、漫画やアニメにハマったりはしたが、自担と呼ぶまでハマれたことはなかった。

ところで私が、ジャニーズを好きになる前から一つだけ目指していた生き方がある。
それは、「一人で生きていける大人になる」ことだった。
そのためには、私は大企業に入ってバリキャリにならねばならなかったし、早慶に入らねばならなかったし、目先のテストで10位以内に入らなければならなかった*1
そう信じきっていた。また、それは一部、正しかったとさえ思う。
私は、このコロナでの「家」への監禁状況下を、一人暮らしの部屋で迎えることができた。それは私が高校生の頃定期テストで10位以内をキープしていたからだし、志望大学に入学し、留年もせず卒業し、大企業に入ったからだった*2私は「一人で生きていける」という女にとっての贅沢品を、10年かけて手に入れた。

「一人で生きていける大人になること」は、つまり、結婚しないで生きていける女になることであり、また、資本主義の駒として一人前になることだった。
中学1年生から大学4年生までの10年間、私は資本主義の駒として一人前になる準備をしていた。

その支えは、ジャニーズ以外にはなかった。

ジャニーズのアイドルは最悪な世界を生きている。
山下智久のような、平野紫耀のような完璧顔面の人間以外は、「ブス」と言われる可能性がある。(この辺りに関しては「ブス」と言われているのをあんまり見たことがないという意味で挙げてます)
CDの売り上げで初週オリコン1位を取れなきゃ「事務所のお荷物」と言われるし*3、ドラマを主演すれば「視聴率最悪でがっかり」のような見出しをつけてサ◯ゾーに記事を書かれる。バラエティに出れば、場の雰囲気を読んだもんがちで、オネエタレントは笑うべき相手だし、ジャニーズWESTはキンプリをうらやましがらなきゃならない。

女が好きなものだから、ジャニーズは常に低俗なものだ。V6の解散が報じられたとき、悪意のないおじさんの「アイドルなんてその年でやっていたくなかっただろう」という旨のツイートを見かけた。
それがどんなに愛おしくて大切な時間だったかも知らないくせに。
オタクが彼らと重ねてきたあの時間は、呼びかけあって、分かり合えなくて、泣いたり、笑ったり、一緒に生きてきたあの時間は、なぜ、「その年でやりたくなかっただろう」と言われなきゃならないのか?

例えばSFと百合が共存できて、SFとBLが共存できないと言われたように、その演じ手は男であるにも関わらず、ジャニーズは「女が好きなものだから」、ホモソからしたら低俗なものなのだ。アイドル文化が低俗なのではなく、「女が好きなものだから」、ジャニーズが低俗なのである。
そして、私たちの代わりになって、ジャニーズのアイドルたちはその矢面に立つ。
ホモソからの蔑視を受け、それでもアイドルという役割(資本主義の駒としての役割)を引き受ける姿を見て、なんとか私は生きてきた。私もそれを引き受けなきゃならないと思わなきゃ、こんなクソみたいな世界を生き抜くことができなかったからだ。私は一人で生きていける大人になれなかったからだ。

ジャニーズのアイドルたちは、この最悪な資本主義の理を肯定する。
絶対に私たちをエンパワメントしたりしない代わりに、この資本主義社会で何くそと歯を食いしばりながら生き抜く姿を見せてくれる。

見た目をジャッジされ、売り上げで人間としての価値を測られ、性的に消費される。
時にジャニーズのアイドルたちは私たち自身だ。

ハロプロや、K-POPのオタクを見ていると、「いいな」と思うことがある。
ジャニーズよりずっと彼ら・彼女らの環境は倫理的に見える。私がこういう話(資本主義とか政治とか)の話をする時、いつだってジャニオタに語りかけているつもりなのに、なぜかK-POPオタクの界隈で拡散されることが多い。BTSは国連でスピーチをしている間も、ジャニーズはいつまで経っても24時間テレビを手放そうとしない。
ハロプロにはアンジュルム和田彩花さんがいた。きっとそれ以外にもいるんだろうけど、浅学のため彼女のことしか知らない。彼女はジェンダーフェミニズムに関する発信を続けている。一方でジャニーズでは、例えば川島如恵留さんが「いろんな愛の形がある」と言って『名脇役』をゲイの片思いとして描いたのがオタク内で賞賛されていたが、「いろんな愛の形」って、それ、同性愛を映画化する時のヘテロ俳優の常套句じゃん、と私は思ってしまった。それでも彼はジャニーズの中では『先進的』な方だ。

そんな最悪ホモソことジャニーズは、しかし、今の社会をそのまま映している。私たちが生きていかねばならぬのは、容姿をジャッジされ、給与で人間としての価値が決まり、性的に消費されてもふふふと微笑まねばならない世界であり、決してエンパワメントしてくれる人たちが目指すような美しい世界ではない。少なくとも今の時点では、そうではない。

世界は変わってほしいし、いつかは変わるんだろうけど、たぶん今すぐには変わらない。
また、女性蔑視については時が経てば今よりマシになるとしても、資本主義に代わる体制があるとは、今のところ私は思えない。
だからあの最悪ホモソを批判しながら、しかし最悪ホモソに生きるアイドルたちに自分を重ねて、「元気をもらって」生きるのが私には精一杯なのだと思う。何しろこれから先も私は一人で生きていくために、人より多く仕事をして、酔って倒れこんできた上司を笑って許して、そうやって自分の食い扶持を守らなければならないのだから。一生この呪いはついて回るのだから。

 

 

2021/4/29
スズキアイコ

*1:ちなみに公務員という道もちょっと考えていたんだけれども、公民の授業で公務員には憲法遵守義務?かなんかが人より重く課せられていると聞いて、政府を全く信用していなかったので、「え〜なんかヤダ」と思ってやめた。

*2:なお、この大企業に入るという言葉には、「女として一人前の見た目になる」ことも含む。私はブスから美人になるためではなく、社会に害がない存在であることを示すために化粧をする。私にとって化粧は「いい年こいてすっぴんで会社に来るような“ヤバイ”女じゃあないですよ。私はあなたたち社会の仲間ですよ」という意思表示であり、身を守る鎧だ

*3:今はハードルがそれ以上に高いことも理解はしている

「どうにかして傷つけたい」という気持ち

前置き

※ROTにトラジャの出演が決まった時に書き始めたんですが、存在を忘れて放置してたので今更出します
ど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜しよ!!!!!!!!!!!自担が3億年ぶり*1にROTに出てしまう〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜無理ぽよ。。。。と情緒が死んでしまった、現在進行形で死んでいます、明日から仕事なのも相まって無理ぽよよよ〜んですほんと無理。
私がどれだけROTが苦手かって話は以前話したことがあるので詳しくはこちらを参照してほしいんですけど、

 

jys123.hatenablog.com

 
ROTってドキュメンタリーは、「本人以外が本人の感情を公式のものとして語る」という意味では24HTVやテラスハウスとおんなじ構造だし、テラハだけでなくイギリスのリアリティーショーとかでも死人が出てるって言うし、やっぱり危ないよね、っていう危機感がずっとあり、そこに自担が出るの、もうほんと“““自律神経の死”””って感じ。なんでトラビスジャパンタイムスナンチャラ第三弾あの枠で放送してくれないんだろうねえなんで………………………………………………。

でもまあもう出てしまうことは変えられないし、この番組でオタク増えるなら増えた方がいいのも本当だし(幸福度No.1グループ)(この世の幸福の総量は増えた方がいいって教科書で誰かが言ってた)(でもオタクが何人いても自名義のチケットだけは全部あたってほしい)、とりあえず、ROTで自担を殺さないために私ができることとして、「誹謗中傷」について書いておこうと思う。こんなもの書いても大して世の中やらオタクやらが変わったりしないことはわかってるんだけど、そしてROTの罪は誹謗中傷を増やすことだけではないんだけど、もう今日このままだと寝れないので……。

 

 

真面目な話

先日、木村花さんに対して誹謗中傷を行なった人が、書類送検されました。下記は時事通信社の記事の引用です。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020121600736&g=soc

捜査関係者によると、男は5月中旬、木村さんのツイッターの投稿に対し「生きている価値あるのかね」「いつ死ぬの?」などと匿名で書き込み、木村さんを侮辱した疑いが持たれている。

同課の調べに対し、男は「番組を見て嫌いになり、傷つけたいと思った」と話しているという。

 この記事を読んだ時、「番組を見て嫌いになり、傷つけたいと思った」という簡易な動機に「そうでしょう。それ以外の動機などないでしょう」と思いました。


突然ですが、あなたには嫌いなジャニーズアイドルはいますか?

こんな偉そうなことを書いておいて恐縮ですが、私にはいます。何人かのアイドルをミュートワードとして登録しているし、テレビで見たら「わっ」と声出してチャンネル変えてしまうアイドルがいます。嫌い、というより見ると胸がざわついて嫌な記憶が呼び起こされるので見れないアイドル、という方が正しいかもしれない。
以前、中学の同級生だったエイトのファンにNEWSを脱退した錦戸さんについて「(関ジャニ∞を選んでNEWSを抜けるのは)当然じゃん」と言われてから関ジャニ∞さんが地雷だった(のに2018年秋に落ちて十五祭めっちゃ入った)という旨のことを書いたことがありますが、そんな感じで、本人たちには関係なくどうしようもなく嫌いになってしまうことがあります。また、本人たちの言動がどうしても受け入れられないことも、確かにあります。そしてそれ自体を止めることは、人間の感情ですから、なかなか難しいと思います。言い訳かもしれないけれど、そう思います。

また、木村花さんのときもそうですが、番組の作り方、タレントの売り方に問題があることもあります。テラスハウスについては、BPOに上げられて問題が検証されました(フジテレビは、炎上後のケアが不足していたことは認めましたが、番組制作にあたってヤラセなどの問題はなかったとしています)。ジャニーズ事務所くらいの規模の会社がカウンセラーや産業医を自社で抱えていないということはないと思うので、対症療法自体はしているのでしょうが、実際に「心を病まない」職場であるかという点で、十分であるかどうかは私たちにはわからないところです。当たり前ですがジャニーズ事務所に所属しているタレントたちはアイドルではありますが、賃金労働者でもあり、ジャニーズ事務所はタレントにとっての「職場」であり、その「職場」に対して健全な労働環境を求める権利があることには間違いありません。
しかし、売り方への反省・検証について、現時点でジャニーズ事務所に期待するのは難しいでしょう。まだジャニーズ事務所では、幸福なことに、「人が死んだことがない」のであり、検証するきっかけがないのです。
「嫌いにならせないでくれ」と言いながらジャニオタを降りてゆく友達を何人も見てきましたが、「嫌いにならせないでくれ」と疲弊して降りていった友達の代わりに新規が入ってきたり、既存客が積んだりと、なんだかんだ上手くやっているので、「嫌いにならせないでくれ」という彼女たちの切実な声はしばらく届きそうもありません。また、届くきっかけに悲劇が必要だろうということが十年のジャニーズ事務所ウォッチングの末わかっているので、それを望むことすら、私にはできません。

では、「嫌い」であるという感情について、現時点で私たちにはどうしようもないのなら、「傷つけたい」という欲望については、どうにか処理できないものでしょうか。

まず、「傷つけたい」というのは、ジャニーズの場合、誰に向けられた感情なのでしょうか?

第一に、その「嫌い」という感情を向けているアイドルでしょう。そして第二に、「そのグループ/タレントを推しているオタク」も入ってくるでしょう。オタクは担タレなんて言葉を作っちゃうくらいですから、オタクとアイドルの見分けがあまりついてないのです(担タレって言葉超嫌い)。

では、どうして「嫌い」だから「傷つけたい」のでしょうか?
「嫌い」であることすなわち「傷つけたい」となるわけではないと思います。
しかし、ジャニオタが「どうにかして傷つけたい」という気持ちを持ってしまうのは、(1)(直接的にしろ間接的にしろ)「自分こそが傷つけられた」ので「傷つける権利がある」という感覚、(2)傷つけられる距離にいるから傷つける、という要素が絡まりあっているのではないかと思います。

(1)については昔から大して変わりはしていませんが、「自担が本来出るはずだった番組を横取りされた」だとか「実力もないのにどっかの偉い人に気に入られているから主演」だとか、そういう形で事務所やそれに所属するタレントに悲しいことがあったとき、「傷つけられた」と感じる場合があります。
しかし、昔はその範囲は大体同G内(じんじんときゃめたすのオタク2ちゃんでばちばちやってたよね)や同世代内(YJ世代とか)でした。
それに対して、今は、ジュニア〜STVKまで全員が同じ狭い番組テーブルの上での領地争いをしています。
たとえば、紅白はスマップトキオの特権だけどその代わりジェーフレはカウコンやろ〜ね、みたいな暗黙の約束事は今ほとんど息をしておらず、紅白は色んな世代から6グループくらい出場、紅白組はカウコンにも出るが、カウコンにも紅白にも出ないジェーフレ……というような状態で、健ちゃんのブログに着火剤を提供されまた軽く燃えたりしていました。まあグループ数が増えたのである程度しょうがないところはあると思うんですけど、オタクは昔の和気藹々楽しいカウコンのことを覚えているので、なぜ………………………という気持ちになるのもまた事実。
そうすると、「奪われた」という気持ちになり、それを奪ったのは「若い世代」となってくるわけです。しかし、そもそもSTVKは上の世代がガラ空きだった(そもそもSMAP以前はほぼバラエティ出てなかった)ので誰かの領地を奪うことも奪われることもありませんでしたし、YJ世代あたりまでは隙間産業をうまいこと攻めていけていたんですが、TV誌を見れば分かる通り、もう隙間はないし、この持っている陣地の中で奪い合いが起こるのは当然のこと。
「若い世代が増えた」ことと「上の世代が引退しなかった」こととが重なっているわけで、若い世代のオタクからすると「お前らも上ガラ空きの恩恵受けたんだからこっちにもよこせや」となるし、上の世代のオタクからすると「なんで自担が一生懸命築き上げてきたもん後輩にやらなきゃなんねーんだよクソ」となります。自担と実力拮抗しているはずのグループにあるものが(あるいは後輩にあるものが)、自担にないと、「自担が本来出るはずだった番組を横取りされた」(再放送)だとか「実力もないのにどっかの偉い人に気に入られているから主演」(再放送)、とかって思ってしまうものなのです。オタク。
そしてさらには、なぜだか最近よく世代間コラボをやっており、事務所ちゃん的には若い子を抱き合わせのバーターで出して売りたいんだけども、上の世代のオタク的にはそもそも領地争いに若い子が入ってくるのが気に食わないので、あらゆるところでヘイト vs ヘイトが着火中〜〜〜という感じ。
また、これは完全に事務所が悪いと思うんですけど、最近のジャニーズ事務所は数字でオタクをやたらと競わせます。YouTubeのヘッダー、MyojoのJr.大賞、インスタのいいね数、果てはJohnny’s Webにまで数字を取るためだろう「いいね」機能が付きました。昔のジャニーズはどんだけオタクが数字出そうとヒロムが白と言えば白であり、黒と言えば黒だったので(例:100万枚売り上げたReal Faceを提げたKAT-TUNは紅白に出ず、NYCは紅白に出た)、数字に対してもオタク、割と消極的だったと思うんですが、今はこの数字というやつに自担の命運が握られています。自担が負けるところなんて見たくないし、自担が悲しむところなんて見たくない。それ以上に、自担の引退が、デビューが、この数字にかかっている。ある意味でかつてオタクが心配していたように、ジャニーズはすでに「総選挙を始めてしまった」のであり、そうなると、自担以外のグループは、敵になりがち。

(2)でも、以前のジャニーズのタレントって、「傷つけられる距離」にはいなかったので、「傷つけたい気持ち」は2ちゃんから出ていなかったわけですよ。そりゃあ亀梨くんの顔にバッテンつけたうちわが会場にあったとかなかったとかって噂もありましたが、本人に届く範囲で行われる「傷つけたい」は、自分が罰せられる可能性と常に隣り合わせでした。2ちゃん等の誹謗中傷はありましたが、そもそも2ちゃんを見ているアイドルは、今SNSを見ているアイドルより少なかった2ちゃんねるというのはインターネットをやっているようなオタク向けのもので(インターネットはかつてオタクのものだった)、アイドルのような明るい世界の人たちが使うものではありませんでした。世間様には、2ちゃんを見るのは良くないことだというようなうっすらとした合意もありました。なんというか、出会い系掲示板とかと同じく、当時の2ちゃんは犯罪と隣り合わせのようなイメージがあった。「けしからん」ものだったわけです。
しかし、SNSは彼ら本人を含め、多くの一般人が実際に使っているプラットフォームです。Tinderやタップルが市民権を得るのと同時に、SNSで匿名で発信することは「けしからん」ことではなくなりました。そして、彼らのうちの幾らかはエゴサしていることを隠しません。また、公式のアカウントから本人たちからの更新があることさえあります。あの、主演ドラマでも公式サイトに虫食いを作っていたジャニーズのタレントが、自撮りを更新する時代が来ている。
彼らはとうとう、「傷つけられる距離」まで、降りてきたのです。
おそらく今Twitterやらなんやらで「傷つけたい気持ち」を発信している人は、彼らがすぐ届く距離にいることを自覚しているでしょう。「傷つけたい」という気持ちを持ったとき、傷つけられる距離にいるから「傷つけたい気持ち」を発信しているわけです。
そして本人たちはもちろん、オタクのことを「傷つけたい」気持ちも加速します。加速するというのがインターネットの本質。知らんけど。2ちゃんでは、オタクが自担の話をしている板に「アンチコメント」を残すことは「スレ違い」でした。また、2ちゃんのアンチスレ的なコメントをファンブログに残すことは「荒らし」だったし、2ちゃんにブログを「激イタオタクプギャーwww」的に引用されることは「晒し」でした。しかし、SNSにはスレ分けはありません。引用RTは公式で推奨されている機能ですし、基本的にはFF外から失礼もできます。オタクに向けられた「傷つけたい」気持ちは、すぐに実践できる、推奨された機能のひとつなのです。

ところで、TwitterInstagramというプラットフォームは、あなたの、私の「傷つけたい」気持ちを加速させた責任は、決して取ってくれません。TwitterInstagramはそこにあっただけなのであり、そこで「どうにかして傷つけたい」という気持ちを加速させたのは、利用者です。

「傷つけたい」気持ちの責任は、当然、自分で取らなければなりません。

いくらTwitterで「傷つけたい」気持ちの実践を推奨されているように感じても、身の回りの人たちが同じように発信していても、「傷つけたい」気持ちを実践すれば、「番組を見て嫌いになり、傷つけたいと思った」と言う日があなたにもくるかもしれません。そのニュースのコメント欄には「最低」「こういう奴こそ死ねばいいのに」というコメントが溢れかえり、あなたの隣には共に悪口を言っていた友人はもはや誰もおらず、あなたが暮らすその部屋すら、もう手元にはないかもしれません。
そして、あなたが「どうにかして傷つけたい」と願った人は、この世にはいないかもしれません。

時代は変わりました。
それは悲しいことでも嬉しいことでもあります。ヒロムは死んだし、派閥はもうない。何度か変遷した自担の先、ようやく出会えた宮近くんですら、いつ好きでいられなくなるのか私にはわかりません。
ものすごい風が吹いているのは確かです。追い風なのか向かい風なのかもわかりません。東京ドーム22ゲートのような風が吹いています。その風を殺せなくて、アイドルを、そのオタクを、「どうにかして傷つけたい」と願ってしまったあなたが、誰かを傷つけてしまうことがないように。あなたを失わせることがないように。少しでも視界が明るくなるように。

そんなことを願っています。

2021/4/22

スズキアイコ

 

*1:亀梨和也さんが充電復帰時にROT出てたときは確か自担名乗ってなかったのでそういえば推してる最中にROTでるの初かもしれん

賛成魂、Passion、Innocent、あるいはのえちゃかについて

※賛成魂ネタバレあり 

そんなにいい子じゃなくていいよと思った。宮近くん。
歌もダンスも上手いし、演技もバラエティだってできるのに、宮近くんの核は「嫌われたくない」「好かれたい」なんだな、って賛成魂で実感した。彼にとっての一番は「ダンス」なんだけど、彼にとってのダンスは、「媒体」(≒言語)だから「言いたいこと」ではないし、言葉にすると決まらない。Passionの国の口上を聴きながらそんなことを考えていた。婉曲な表現で色々言おうとしているけれど、宮近くん自身、自分が今何が言いたいか、見えていないんじゃないかな。宮近くんには本当は言いたいことなんてないのに、彼の周りは彼に何かを言わせようとしてはいないかな。それを宮近くんが望んでしているのはわかっていて、でもその宮近くんの望みはどこまでも「嫌われたくない」「好かれたい」なのだから、周りが宮近くんに期待する役割をしているのではないかな。
松松の言う「それっぽく言うの上手いよな」は宮近くんの核心なのかもなと思う。彼の言いってることのどれほどが、彼の言いたいことなんだろう。そもそも22,23の男の子が大したことなんて言えた方がびっくりする。人間、そんなもんじゃないですか。私は新入社員の前で喋る役割すら丁重にお断りしたよ。話すことないから。私と同い年の宮近くんが、自分より年上も年下も関係なく、全人類に響くような大したことを言わなきゃいけない立場(=たとえば名言としてオタクの待ち受けになるような言葉)にいて、宮近くんは忠実にそれをこなしてる。

Passion(情熱)の国とInnocent(美)の国だけ、説明があった。
如恵留くんの口上は、言いたいことがあるから聴きやすい。もっと言うと、如恵留くんは「俺はこれが正しいと思ってるんだ」というエゴを丸出しにしてオタクに迫ってくるから、その評価をこちらに曲がりなりにも委ねてくれるから、聴きやすい。
宮近くんのは言いたいことが見つからなくて、「こう言ったら嫌われない」「こう言ったら褒めてもらえる」が原動力になっている感じがあって、どう聞いていいかわからなくなってしまう。ただしそれはアイドルとしての素質だと思うし、もしかしたらTravis Japanに最後までいるのは宮近くんかもしれないとも思う。宮近くんのそういう染まらなさがいつか武器になるかもしれないとも思う。そしてこれから先の人生の中で、宮近くんはきっと「言いたいこと」を手に入れてゆくのだと思う。今はその途中。

ただ、宮近くんのPassion前説でも最後のあいさつでも思ったことだけど、宮近くんは私たちに、「健康でいてね」って言う、それに嘘はなかったなと思う。それがしんどかった。今はこういう状況だから人がバチボコ死んでるのもなんとなく想像がつくし、そういうものを考えて、心を痛めているのかなと思った。宮近くんはちゃかまるでも「それぞれの人生があるし」と、「一番大事なのは自分の身体、元気でいることだもん」と言っていた。
ファンレターのうちに、「あなたのことが好きだった(任意の関係)が死んでしまいました」という内容も届いているのかもしれないと思った。オタクはそうやってアイドルに人生を託して生きているから、アイドルに自分の人生を投げつけてしまうから、それを、バカ真面目に宮近くんは受け止めているのかもしれないと思った。宮近くん、そんなに真面目じゃなくてもいいのに。そんな、馬鹿正直に、バカ真面目にアイドルしなくたって、誰も君の居場所を奪ったりしないのに。なんて思ったりした。


如恵留くんが自分のプロデュースする国でRolling Daysをやっていて、その解釈はいかようにもできるが、看守と囚人が想いあっていると聞こえなくもない。如恵留くんの意味深な「いろんな美しさがある」は、そこに帰結するのやも。彼は正しくありたい人で、今その正しさはLGBTQライツに向いているので、名脇役と同様にやっていたのかもしれない。でも、如恵留くんの言う「いろんな美しさ」は、STAYのような純粋な?愛との対比での「歪んだ愛」だった可能性も無きにしもあらず。
SMAPのSTAYについて、歌詞の内容としては結婚の曲と聞くのが自然(病める時も健やかなる時も……)だけれども、SMAPの功績でオタクとアイドルの曲、アイドルとアイドルの曲になっているのがすごいし、それを選んできた如恵留くんも、あっぱれ。
でも二番歌って欲しかったなあ。「僕がずっとそばにいよう 君が何かを憎まないように 無意味に傷つかないように」って歌ってもらえたら、オタクしている甲斐があるってもんだよ。私だって何ももう憎みたくなんてないんだよ。

Innocentは最初から最後まで如恵留くんマジ職権乱用で、宮近担で松松狂だった。
Rolling Daysでは自分の踊りを前振りのように使って、宮近くんの目隠しを目立たせてた。宮近くんは登場するとき、すっと立っているだけなのに、白い服に黒い目隠しが異様に映えていた。対して如恵留くんはツイステッ◯ワンダー◯ンドのような立派な衣装を着ているので、対比で、宮近くんがまるで子供のように見えた。宮近くんは姿勢が悪い&踊る時の重心が低いが、対照的に如恵留くんは姿勢がいいバレエ系の踊りなので、さらに宮近くんが子供っぽく見える。
その子供のような宮近くんを前に険しい顔をして棒を振り回した末、その棒を奪われるっていう演出をこの人は自分で考えたんだよな……?自分の権威を奪われたい願望か……?権威主義的な態度をとっていたかつての自分を、如恵留くんは宮近くんに崩して欲しかったのかな……?と思った(本来崩したのは元太だけど)。如恵留くんの棒を奪ったときの宮近くんのにやって微笑みまじでやばかった。まじでやばかったですよね?

STAYの職権乱用ポイントもたくさんあるけど、まずは松松に結婚してほしい願望……?って感じで、如恵留くんが微笑みながらピアノ弾いてるのめちゃくちゃ教会仕草だった。ドセンから出てきた宮近くんに肩ぽんされるのは職権乱用すぎん……?他のメンバーは誰も如恵留くんに近づいていかないのに(最終的に一番如恵留くんの近くにいたのは中村海人だったけど)、宮近くんに近づいてきて肩ポンされて、「5, 60年一緒にいよう」は里子より美香よりひなたより川島如恵留が今期のヒロインみたいなところある。
……ってオタクに思わせてる時点で如恵留くんの勝ち。オタクはやらされているエモには敏感だから。Shareの山Pさんの「用事もないのに集まって意味も無い会話にただ笑ったね」に『それ赤西軍団の話であってNEWSのことじゃねえだろ!!!!』ってキレたりさ。如恵留くんは「俺が本当にこうしたいんだ」という説得力がある点が強みだと思う。時々その思いにオタクがついていけなくて如恵留くんもオタクもメンバーも全員がキョトンってしてることもあるけど、それも含めて可愛いよね。




あと、細々したこと。

  • MCで、石渡くんがお土産持って楽屋あいさつしにきてくれた話で、「海斗はわかんないけど、俺は中3の頃絶対できなかった!」って言う中村海人好きな中村海人だった。「俺はできないけど海斗はしっかりしてるよね」自認の中村海人が好き。そういうときに宮近くんがヘラヘラしているのも好き。メンバー、褒めてるよ。聞こえてる?
  • 4/11夜のMCでは、宮近くんが飛ばしてまくってて、それがうまくはまっていたのが良かった。宮近くん時々バラエティでドッカンとるの、台本があるんだろうな〜って思ってたけど(失礼)、時々普通に調子がいいのだろうなと理解した。宮近くんハマった時の快感半端ない。
  • 松倉くん毎回ハードル上がりまくってるはずなのにちゃんとおもろくて強い。18:30に待ち合わせってあんな高らかに歌っておいてMCではたどたどしいのもおもろい。
    私トリプルカイトと同い年なので、Timeはド・世代で、アオゾラペダルなんて好きすぎてそんなふざけられたら……って思って会場に行ったけど、全然楽しかったし、全然やな気持ちにならなかった。エンターもラブシチュが良すぎたし、Timeからファンサ曲選んでくるビスジャパン大好き。ペンラの色変え楽しかった。ペンラの色変えしながら双眼鏡持つのは大変だった。
  • The Showの宮近くんの煽り方が好き。宮近くんの片手突っ込んで踊るのがおしゃれで好きなんだけど、The Showの宮近くんはそれに近い気持ちになるノリ方だった。オタクはそれをやりたいなって思うけど多分できてないんだろうな。あと「極彩色の世界へと」があまりに中村海人にぴったりだった。中村海人担おめでとうございます。
  • Happy Groovyの宮近くん、紅孔雀で出てくるのに最初ソロパートないの可愛い。元太とアイコンタクトとってるのおしゃれ。かっこいい。中村海人はなぜそこに入れないのか(青鷺だからだよ)。
  • 帽子かぶって外す仕草、笑顔からの真顔への切り替え、「トラビスだな〜〜(CV:川島如恵留)だった。一億円で買うからヤフオクにあの真顔出品してくれ。
  • 笑顔の国、めちゃくちゃ楽しかった。閑也のギャグ前後のトークが普通に面白くて、え、閑也って生で見ると面白い!って感動があった。あと閑也と宮近くんがMC始まりで近くにいる時なんか喋ってて(11夜かな?)、それがすごく素っぽくて可愛かった。閑也といるとき宮近くんちょっと幼くなるよね。
  • VOLCANO〜獣と薔薇会議中、手で机を叩く振り付けが良かった。音が揃うのがきもちいい。あれは今年ならではの気持ちよさだと思った。誰一人歓声をあげられないからこそ、ダンスプラクティス動画のようなあの音を聞けて、興奮した。
  • そういう意味で、今年ならではだなと思ったのは、Last Dance終わりでみんながペンラカチカチしてる時間の「あれ、私たち、何してるんだろう……?」感すごかった。4/10昼絶妙に笑い生まれてた気がする。
  • あと、Last Dance、今年じゃなかったら絶対に叫び厨に集中力切らされていただろうし、こんなに美しいアカペラが聞けて、しかも有観客なの、ヤバ〜〜〜〜って思った。なんならマイクなしでも聞こえるんじゃないかなと思った。僕らの街で歌う赤西仁のこと思い出した。
  • しめちゃんはどの公演も安定してしめちゃんですごい。
  • INTERACTIONAL、セトリ入りした時、「絶対如恵留くんじゃん」って思ったんだけど、会場で見たらInnocentの国ではなかったし、如恵留くんだ〜という感じもしなくて、ただただセトリの中に溶け込んでいたのが意外だった。堂本光一のこと、私はジャニーズに洋楽を持ち込んだ人だと思ってるんだけど、本当にオシャレな洋楽だった(歌詞は日本語なのに)。
    箱の中で踊る演出もショーケースのようで美しくって、私は自担ロックオンしてたから宮近くん以外のことはわからないけど、箱の中で照明当たっていなくても、手を抜くはずがないんだよな、Travis Japanが、と思う。
    伏し目がちに踊る宮近くんがただひたすらに色っぽくて、まつげが長くて、ポーズが一つ一つ決まっていて、INTERACTIONALのことこんなに好きになる日が来ると思ってませんでした。絶対に円盤化してほしい。


2021.4.17.
スズキアイコ

いつかきっとこの日を思い出して泣いてしまう

※賛成魂ネタバレあり

 

こういうタイトルのドラマ前にあったよね。先週、Travis Japanのライブに行ってきたのですが、バルコニー席でペンライトを振りながら、とっさにそう思いました。Shineの国が始まってペンライトをカチカチ鳴らしているときにも思いました。MCで後ろを向いて水を飲んでいる宮近くんを見てそう思いました。
いつかきっと、思い出して泣いてしまう日が、今日なのだなと思いました。

Travis Japanのライブに行くのは初めてでした。私は2020年6月出の新規なので、2020年8月のサマパラとENTER1234567の配信をありがたく見て、10月には虎者も見たのですが、それらとは全く違う経験でした。
また、一昨年の7月〜9月に関ジャニ∞のライブに入ったときとも違う感覚でしたし、それまでに入ったいろんなライブとまた、違う感覚でした。
その違いはたくさんあるのですが、まず、ホールとアリーナ・ドームの違いは、私が思っていたよりも大きなものでした。

そして、何より、Travis Japanは、まだ、夢の途中でした。

何万回もこのブログでは書いてますが、私は2011年の春、デカワンコに出ていた手越を好きになってジャニオタを始め、そこから「一定程度の地位があるアイドル以外(いつ辞めるかわかんないし)無理!」という権威に従順なオタク仕草でYOU&J〜J-FRIENDSあたりの世代を推してきました。当時のオタクは今よりもずっと治安が悪く、個人的にはヘイジャン以下の世代を推してるオタク怖そうすぎて無理。。。って思ってたのもあります。傷害事件とかあったよね。。。
また、2011年当時は、嵐がその地位を確固たるものにしつつあった時期で、嵐以外のYOU&J世代は、「嵐には勝てないが、まあそれぞれ活動も充実してる」という感じで、今思うと大変生ぬるく推すことが可能でした。絶対に嵐には勝てないので、勝たなくていいわけです。戦わなくていいわけです。ほっときゃ初動30出た時代。
「一定程度以上地位のあるアイドル以外無理!」って思ってたのと同時進行で、中学生らしく、私は銀魂にハマったりしてました。みんな通る道。
銀魂のいいなと思っていたところは、主人公の銀さんの「夢」はもう終わっていたことでした。「青春」と呼んでもいいかもしれません。ルフィで言う「海賊王になるための戦い」、ハイキューで言う「春高」、とにかくその人の人生のサビみたいなところを描くことが多い少年漫画の中で、銀さんは「攘夷戦争」という人生のサビ、「夢」をすでに終えた人だったから、安心して好きでいられました。「夢」を追いかけている人間は、当たり前ですが、ほとんど夢破れます。そういうのは御免でした。私には私の人生があり、それが結構しんどかったので、アイドルや漫画でまで「夢」に破れるかもしれないという恐怖を感じたくなかったのだと思います。後付けにはなりますが。
そういう意味で、ジェーフレが好きだった時期と受験期が被っていたのは、ある意味必然だったのかもしれないとも思います。私は高3の時一日13時間勉強していて、8時間寝ていたので、自由時間は一日3時間。当時のジェーフレは今よりずっと安定していて、それなりに供給もあり、何より過去映像をいくらでも掘っていけるのが幸せでしたし、逆に言うとそれ以上の推し方は私には無理でした。

昨年、ひょんなことからTravis Japan宮近海斗くんを好きになって、最初はいつもみたいに過去映像を漁りつつ、マイペースにグッズを買っていたのですが、たぶん、夏、Jr.祭り2020を見たあたりから私の意識が変わってきました。需要があるって言いたい。ここにいるって伝えたい。負けるところなんて見たくない。私にとっての最高のアイドルが惨めな思いをするところなんて絶対に見たくない。
宮近くんは、今のJr.では珍しいくらいに平和主義で、積めとも言わず、数字に触れない子です。Jr.大賞で彼の順位は昨年度に比べたら飛躍的に上がりましたし、昨年は夢ハリが100万回再生を達成するなど、いくつかグループに課せられている「数字」が達成された瞬間があって、そのたびにメンバーたちからオタクへの「ありがとう」がありましたが、宮近くんは自分からそういうことをあまり言いません。私は宮近くんのそういうところがめちゃくちゃに好きで、自分が頑張っていれば、その頑張りが正しいのなら、数字は後からついてくる、肩書きや結果は後からついてくる、という宮近くんの態度が本来のジャニーズの在り方だと思います。でも、滝沢政権になってからのジャニーズは、それでは正直弱くて、だから彼のメンバーが積んでくれって言うのも、ありがたかったりします。中村海人がそういうこと言ってくれるから私はこういう宮近くんを好きでいられるんだよな・・・といつも感謝してるよ中村海人。誕生日おめでとう中村海人
Myojoやananを積むことがいいことだは思いません。重版はそもそも出版部の部数の読み違えですし、JEの商売っ気のない商売で200万売り上げたキンキのことを考えては鬱になります。
他のオタクに貶されたり、なんで自担だけこんな扱いを受けなきゃならないんだと泣いたり、そういう風にしながら、ジャニオタをやっています。虎者の千秋楽のレポを読みながら手が震えたり、横浜オーラスじゃなくて昼公演配信なのなんでなのと泣いたり、直近だと各Gペンラが出る話を聞いて祭りはいらん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!と大声で叫んだり。

IMAGE NATIONでペンラを振りながら、一昨年、十五祭のLIFE〜目の前の向こうへ〜で流れた過去映像を思い出しました。
私はそのほとんどの映像を知っていました。ただし、映像として見たことがあったり、オタクのレポで見たことがあったりしただけでした。それらを知識として持っていたので、十五祭の場では、きちんと沸けました。それらの映像がどんな意味を持っているのか、「知って」いたからです。
でも、たとえば「Travis Japan」と書かれたどんちょうを見たときの胸の高鳴り、「Rolling Days」の宮近くんが少年のようだったこと、生で見ると閑也のギャグは割とおもしろいこと、ペンラの色変えのタイミングでカチカチカチカチ音が鳴ること、新曲の中村海人の「極彩色の世界へと」があまりに美しかったこと。そういうことの実感は「知っている」こととは全く違いました。あの、十五祭で描かれた景色の中に私は今いるのです。これから先Travis Japanが叶えていくだろう夢の途上にいて、たとえば2019年8月8日のような日があって、けれど2020年8月8日のような日もあって、そうやって全ての温度を、肌で感じてゆく。
都合のいいところだけ抜き取って撫でるのではなくて、あるいは他人の感情を撫でてそのひとの気持ちを想像してみたりするんではなくて、他人から実際に悪意を向けられたり(よくわからんコンビ厨に引RTされたり、鍵RTだけやたらついたり)、他のグループのわけのわからない推され方に内心ギリギリしたり、焦って客先から帰るときにMyojoをしこたま買って帰ったりする。この明文化されない温度を、今、感じている。

Travis Japanのライブに行って、私、生きてるなーって思いました。今までアイドルを見にいくと、「アイドル、生きてるやんけ!!!!」という興奮があったのですが、Travis Japanのライブでは、「私、生きてるな」って思いました。Travis Japanがいて、私はその場に確かに存在していて、確かにこの目で見ていて、私が見た・聞いた全てはきっと残らない。
その場限りの時間があり、それを生きていました。
そして、きっと、いつかこのときを思い出して泣いてしまうと思いました。
それは、Travis Japanがデビューするときなのか、あるいは私がなんらかの理由で宮近くんを推さなくなるときなのか、それともずっと先のことなのか、わからないけれど、いつかこの日を思い出して泣いてしまう。それは、あのわけのわからないMyojoや重版商売や数字の義務のおかげでは全くないですが(大声)、彼らが「夢の途上」にいて、それをこの目で、自担の夢として見ているからです。この温度を生きているからです。間違えたり、怒ったり、泣いたり、そういう風にしながら、私は今、生きています。バルコニー席で決して近くはなかったけれど、でもやっぱりドームに比べたらすぐそこに宮近くんはいて、彼は夢の途上にいました。

こんなにまっさらに愛せる子に出会えて本当によかった。生きてるって思えてよかったし、これからたくさんの景色の中にいる宮近くんを見ていたいと思いました。

なんかこんなこっぱずかしいことを書くつもりじゃなくて、公演後にペチャクチャ一人で喋ったの(オタ垢運用がうまくいかず結局スズキアイコアカウントでツイキャスをやった 爆笑)の録音でも聴きながら感想記事を書こうと思ってたんですけど、まあ……そういう日もあるよね。


2021/4/15
スズキアイコ

渋谷すばるさんのライブにて

昨年1月29日に渋谷すばるさんのライブ「二歳」に行ってきました。幕張メッセ2日目。ゼミ最終日だったので前週に卒論出して一足先にサヨナラしたのを覚えてます。

渋谷すばるさんを生で見るのは初めてでした。私が関ジャニ∞を好きになったのは2018年9月ごろで、渋谷すばるさんの脱退の後だったからです。

 


関ジャニ∞のことを好きになる前、渋谷すばるさんのことを好きだったのか嫌いだったのかはよく思い出せないのですが、すごく「関ジャニ∞っぽい人」だと思っていた記憶があります。

関ジャニ∞について、私は好きになる前、①芸人っぽい、②エモやりがち、という二つのイメージを持っていました。

このうちの②エモやりがち、の核みたいな部分が私にとっては渋谷すばるさんでした。

歌への熱意と仲間への想い。それがすばるくんのいた関ジャニ∞の突出していた部分だったのだと思います。関ジャニ∞の生演奏は素人目から見てもいつも走りすぎで、ハラハラするような演奏でした。しかし、その拙さの中で歌うすばるくんは自分が一番うまい!というような傲慢さを持たず、むしろ愛しさを抱えているように見えました。それこそが関ジャニ∞のエモさに見えました。このエモさはどこか痛々しくもありました。しかし切実にも見えました。

すばるくんはよく、大倉さんのドラムを褒めました。私に技術的なことはよくわかりませんが、走ってる要因はドラムに聞こえていたので不思議でした。しかし大倉さんの"想い"こそがすばるくんをして、大倉さんのドラムを褒めさせていたのだろうと思っています。

 


二歳を終えて、元の印象を翻して、すばるくんは傲慢な人だなと思いました。「おれはこうなんだ!」「主役はおれだ!」、そういう叫びが聞こえてくるようなライブでした。世界は自分を中心に回っているかのように叫び歌うのです。ずるいと思いました。

私は錦戸亮さんが好きなのですが、彼が2019年7月に「歌も踊りもめちゃくちゃうまいわけでもない」と言ったのは、間違いなくすばるさんを念頭に置いていたと思っていて、彼が、そう言いながらも必死に取り組んでいたことは、きっとすばるさんにはわからないだろうと思いました。わかるよと曖昧に笑うことはやめたのだろうと思いました。

なぜならばすばるさんは自分を主役と置いたからです。

関ジャニ∞のメンバーとして仲間でいること、仲良しごっこをすることを、諦め、自分が本来負うべき主役という役柄を引き受けたからです。その姿は先に書いたようにとても傲慢でしたが、こうするしかなかったのだろうと納得もしましたし、何より、格好よかった。彼は仲間でいたかったのだろうと思います。関ジャニ∞のことが好きで、仲が良くって、居心地がよかったのだろうと思います。でも、彼はそれ以上に自分の持つ役割を無視できなくなったように見えました。その役割こそが「主役」に見えました。

 


すばるさんのライブにもう一度入りたくて、台湾と大阪のチケットをとりました。結局中止になってしまいましたが、またすばるさんの歌を聞きたいと思います。あの頃は錦戸亮さんへの想いを拗らせすぎていて書けなかった備忘を残します。

 

スズキアイコ
2021.4.4.

親愛なるジャニオタへ

ここのところぼんやりと考えていたことをタラタラ並べただけで脈略のない文章です。そのうち考えていることそれぞれに結論をつけたいなと思いつつ。

※本筋とは直接関係ありませんが、今年のJr.大賞ネタバレがあります。もうさすがに大丈夫かとは思いますが一応……。

 熱愛とは何か

昨年の12月にジャニーズJr.の熱愛報道があった。文春にすっぱ抜かれた彼は、女の子の家に宿泊したとのことだ。その結果、事務所から下された処分は「謹慎」*1
私はYOU&J*2育ちなので、えっ厳しくない?と思ったのだが*3、割とこの処分について不満に思っていないジャニオタもいたようだった。
そこで私は再び例の問題にぶち当たった。
「熱愛とは何か」という問題である。
ジャニーズアイドルは「熱愛報道が出ない方がいい」らしい。
それはなぜかというと、「アイドルは夢を見させる職業だから」らしい。
では、彼らは一生恋愛しないべきなのかというと、そうではなく、30代あたりになって童貞であることが望まれている訳でもないし、結婚して子どももいる木村拓哉さんや井ノ原快彦さんを、既婚者子持ちであることを理由に、「プロ意識がない」と言うのはちょっと乱暴すぎると私は思う。このあたりついてはそれほど世間とずれてないのではないかな、と推測している。
で、こういう話になると、「隠せるなら(恋愛)してもいいけど、隠せないならしないべき」みたいな話になる。が、これも私には不思議で、「そもそも彼ら隠そうとはしてるじゃん?」というお気持ちになる。隠そうとしているものを暴こうと躍起になってるのはオタクとメディアの方であって、それって彼らのプロ意識の問題ではなくないか?

そもそも、「夢を見させる職業」とは何を指すのだろう?
ここまでの熱愛への態度を元に考えると、彼らと恋愛する夢を見るのがジャニオタで、その夢を見させる職業だと言うことだろうか? その場合、彼らと恋愛する夢って、彼らが童貞じゃないと見られないのかな? それとも過去付き合ってた人はいてもいいけど今付き合ってる人はいないで欲しいのかな? というか本気で現実のジャニーズアイドルと付き合う夢を見れるものかな? リアリストな自分が顔を出したりしないのか、付き合えないのはわかってるけど可能性を残しておいて欲しいから恋人いないで欲しいのか……。
この辺りは本当にわからなくて……リア恋したことないので……誰かこの辺りの機微を教えてくれる人いたらコメントか何かで連絡ください……複数人にインタビューしてみたい。

 恋人にしたいJr.

ここで、「ジャニーズと恋愛したいジャニオタ」は私の理解の範疇にないので、またの機会ににするとして、大きな声で言っておきたいのが、「彼らと恋愛をしたいと思ってるジャニオタ以外もジャニオタにはいる」ということだ。わかりやすいのがジャニーズJr.大賞で、「恋人にしたいジュニア部門」が実質の人気投票なのに対し、「リア恋部門」という別の「恋愛したいと思ってるジュニア」を選ぶ部門がある。そして、この二つの部門の結果がピタリと重なり合うのならジャニオタには「自担と恋愛したいオタク」しかいないと思われるが、実際のところ、そうではない(下記参照)。

2020年度恋人にしたいJr.部門
1位 西畑大吾(なにわ男子)
2位 松田元太(Travis Japan
3位 七五三掛龍也Travis Japan
4位 松倉海斗(Travis Japan
5位 中村海人Travis Japan

 

2020年度私のリア恋部門
1位 正門由規(Aぇ!group)
2位 吉澤閑也Travis Japan
3位 藤原丈一郎(なにわ男子)
4位 高橋優斗HiHi Jets
5位 浮所飛貴(美 少年) 

 

で、これを初めて聞いたとき、私は思った。
なぜ人気投票が恋人にしたいJr.部門なのか?
さっきも書いたけど、本当にジャニオタをやる方法が「恋愛対象として見る」だけなら、リア恋部門と恋人にしたいは重なるはずだ。にも関わらず、その二つを集英社もジャニオタも「暗黙の了解」として分けて扱っている。
それは、ジャニオタのスタンダードが「アイドルを恋愛対象として見る」だと、世間的には思われていて、ジャニオタもそれを(文句は言いながらも)受け入れているからだ。しかし、一方ではジャニオタは「アイドルを恋愛対象として見る」だけの推し方をしているわけじゃないので、「リア恋部門」と「恋人にしたいJr.」の結果は一致しない。
どうして世間にジャニオタが「アイドルと恋愛したい」思われているかは容易に想像できるだろう。ジャニオタという不可思議な生き物を世間は「アイドルと恋愛したいと思う夢見がちな乙女」にしておきたいのだ。私自身、ジャニオタやってるけど、アイドルのこと恋愛対象として見ているわけじゃない、とよくパンピに言っては「変わってるね」と言われていた。
もちろん、ジャニオタはこの不一致にぶつくさ言っている。事実、大賞が始まる頃に結構なオタクのTwitterで、「別に恋人にしたいわけじゃないんだけどね……」と言う声を見た。


「自我のないアイドルを推す」

話は変わるが、先日、ある番組を見ていや〜〜な気持ちになった。その番組は簡単に言うと、ジュニアを推しているジャニオタが自分の推し方や推しの魅力について、芸人とジャニーズの先輩を前にして語る番組だった。そこで、ある一人のオタクが「自我いらない」と言った。自我が出てきたら(髪を染めるとかピアスを開けるとか)、降りるのだと言う。
めまいがした。
社会が女に求めてきた役割(意見は言うな、可愛い顔して笑っとれ、自我を持つな)というのを、ジャニーズに押し付けるジャニオタがいて、それが今、日本テレビの全国放送で全世界に流れているのだと思うとゾッとした。せめて自担の目には映らないでくれと願った。うわっと感じたのは私だけではなかったらしく、私のTLはこの件で荒れていて、「そういうジャニオタもいると思うが、それがスタンダードだという風に流されるのは……」ということを発信しているジャニオタが結構いた。
しかし、その言葉は、当たり前に、拾われないのである。

不買は不在

オタクはSNSに「そうじゃないよ」と書く。「あくまで自分の意見」としながらも、結構まともなことを言っていたりもする。なんとなく濁しながら、固有名称を外してエゴサに引っかからないようにしながら、めんどくさいオタクに見られないようにしながら。
けれど、それは、求められているオタクの姿ではないから、これから先も拾われることはない。
「恋人にしたいJr.部門」が「好きなJr.部門」に名称を変えることはないし(まあ改名したら改名したで生々しすぎるとは思うが)、日本テレビで、自担と恋愛したいわけじゃなく、また、キャッチーな名称(産みたいとか)がつかないジャニオタがスタンダードだと放送されることはない。

ならば、なぜ、ジャニオタは、自分たちの声を一切聞かないMyojoを積み、日本テレビの番組を見てしまうのだろうか。

それは、ジャニオタの世界では、「不買」は「不在」を意味するからだ。買わずには、ジャニオタはジャニオタではいられなくなる。私たちはMyojoを買うことによって、日本テレビの番組を見て数字に貢献することによって、ようやく「ジャニオタ」でいることができる。もちろん茶の間と呼ばれる数字を出さないジャニオタはいるが、彼女たちが自分の信条に基づいて買わなくても、数字を出したいジャニオタが買う以上、その声は拾われない。
ジャニオタのうち、いま、この「何がなんでも数字出せや」勢に反対する人たちも見ないわけではない。また、某ドラマの内容が激ヤバで批判されたとき、ジャニオタの側からも声は上がった。しかし、そういうジャニオタがいても、それ以外のジャニオタとの争いになるだけで、断裂が深まるだけで、結局、集英社が、日本テレビが、ジャニーズ事務所が、変わることはない。気に食わないなら買わなきゃいいのであり、買わないならいないのと一緒だからだ。

 「J-POPのCDとかが山積みでさあ」

またまた話が変わり、「あの子は貴族」という映画を昨日見た。映画の内容は本筋からずれるのでここには書かないが、途中、主人公が姉に紹介された男とジャズバーで話すシーンがあった。

主人公「ジャズが好きで……このお店にも何回か来たことがあるんです」
男「それ、前の彼氏の影響でしょ?」
主人公「えっ……いえ、小さい頃からピアノを習っていて……」
男「いるんだよなあ。ジャズ好きって言う女の子。そういう子に限って部屋行くとJ-POPのCD山積みでさあ」

 

このシーンは、主人公が「男の影響でジャズを聴いていると言うが実際は低俗なJ-POPを聴いている女」というステレオタイプを押し付けられてもやっとするシーンだ。こういう場面は、今の、男女共同参画がようやく根付いてき……始めている……ような雰囲気をメディアが出したがっている(長い)時代のドラマ・映画でよく見ると思う。
でも、私はちょっとこのシーンが悲しかった。つまり、主人公は「J-POPのCDが山積みのような女」が低俗である、という前提の価値観には心のどこかで同意した上で、「自分はそうじゃないのに」と思ってるってわけだ。

ジャニオタに投げかけられる目線は、ちょうどこの「J-POPのCDが山積みの女」へ向けられる目線と重なる。

社会は私たちに低俗であることを求める。ジャニオタは政治について無関心であることが求められるし、上野千鶴子を読んでない方がいい。読んでたとしてもジャニオタであるからには、自分の価値観で何かを言うことは許されないし、それはジャニオタ(低俗な趣味)をやっていく上では不必要なものだ*4
社会は私たちに恋愛好きであることを求める。恋愛感情を持って男を好きになることを求める。彼らに共感して自分を重ねることも、ステージ上での振る舞いだけを好きでいることも求めない。私たちは彼らを応援したいと思うのなら、「恋人にしたい」相手として彼を選ばなければならない。嘘をついて。
(こう書くと、私はもともと低俗だし、もともと恋愛大好きだし、もともと上野千鶴子も政治もキョーミないです、みたいなことを思う人もいるだろうが、もともとそうするように社会が私たちに求めている、っていうことを書いている。ジャニオタがいつもいつもポリティカルコレクトネスと対決してしまうのは、私はすごく悲しいことだと思う)

ジャニオタの中には、他に例えば邦ロックが好きだとか、アニメが好きだとか、めちゃくちゃ勉強ができるとか、ピアノが上手いとか、知らんけど、他の属性を持っている人もいる。しかし、彼女たちが、彼らがその属性を持って認められたとしても、ジャニオタが社会にとって低俗であることには変わりがない。この何十年そうだったから。きっとこれからもそうであり続けるだろう。私たちが私たちの間で大切に醸成してきたアイドルへの解釈や、アイドルとの関係や、あのわけわからん舞台たちとの向き合い方について、社会から評価されるようなことは、きっとないんだろう。「推し、燃ゆ」がジャニオタのものではなかったように、「推し」という便利な言葉を用いて二次オタや男やその他のみんながあれこれを言っていたように、ジャニオタの文章が芥川賞をとることはこれから先もきっとないんだろう。


「ちゃんと生きてこ」とは言えない

できることなら、私だって、それでもジャニオタがこれから生きてゆく術を示したいと思う。
例えば、中村梓が「コミュニケーション不全症候群」の中で示したように。例えば、宇佐見りんが「推し、燃ゆ」の中で示したように。

でも私は、ジャニオタに「ちゃんと生きてこ」とはどうしても言えない。

中村梓は「コミュニケーション症候群」の中で、JUNE*5を愛好する「永遠の子供」から脱するために、苦しみを直視しさえすればいいと言う。
宇佐見りんは、「推し、燃ゆ」で、私たちに床を這いつくばることを求めた。

中村梓が散々語ったことでもあるが、それでもやはり、ジャニオタをするっていうのは、人生の狭い狭い逃げ道だと私は思う。中村梓はJUNE少女たちやオタクの少年たちを描写して、彼ら彼女らは「永遠の子供」だと言った。彼ら彼女らはその苦しみのためにオタクになり、幽霊としてしか他人を捉えられなくなり、その症状は加速してひどい殺人事件を起こしたりしたと言った。
しかし、ジャニオタは、「永遠の子供」ではないのだ。ジャニオタはジャニー喜多川の書く「子供は大人になれるけど、大人は子供にはなれない」という言葉をどこか他人事として見る。それはジャニーズアイドルのものであってジャニオタのものではない言葉だ。ジャニオタはJUNE少女のように成熟を拒否することはない。ジャニオタの多くは、そもそも「ちゃんと生きてる」のだ。
女に許されている、「総合職バリキャリパターン」と「一般職・専門職その後お嫁さんパターン」の2種類のうち、後者を選ぶジャニオタが私の観測範囲の中ではとても多いように思う。そして、JUNE少女のように、そのどちらもを拒否し、成熟しないでいることはできない。ジャニオタは「金を出さない」と「不在」になるしかないからだ。
あるいは、「総合職バリキャリパターン」「一般職・専門職その後お嫁さんパターン」の両方を拒否しながら、ジャニオタでいるために、ジャニオタは「夜の仕事」をすることはある。しかしその場合でも、彼女は「永遠の子供」でいるわけではない。彼女はJUNE少女のようにJUNE小説を書くことでその存在を示すことはなく、社会の中で、金を稼ぎ、金を支払うことでそこにやっと存在できているのだから。彼女は仕事をしなければならないのだから。男を接待しなければならないのだから。

つまり、ジャニオタは、中村梓の言う「学生時代を謳歌し、(中略)ブランドだとあそび歩き、それからエリート・サラリーマン(略)その配偶者の主婦としてさっさと自分の場所を確保してしまった要領のよい」「適応者」なのだ。しかし、「適応者」であるからと言って、この病んだ社会でまっすぐ前を向いて楽に生きていけるわけではない。私たちは私たちで歪みに苦しみながら生きていて、だからこそ、同じ歪みの中を生きるアイドルに、時に「自我を持つな」と願ったり、逆に「自我を持って生きてくれ」と祈ったりする。「自我を持つな」と願われる人が「自我をもつ」姿そのものに救われたりする。アイドルは時に私たちにとって私たち自身だ。

この瞬間を生き抜こうとするジャニオタたちに、私はどうしても、「床を這いつくばれ」とも「苦しみを直視しろ」とも言えない。

私の知らない時代に、参政権を得るために血を流した女がいたことだろう。でもその瞬間に「男女同権なんて必要ありませんわ」と言った女に、血を流せと私は言えない。これは全然正しくないことなんだろう。十年後にこの文章読み返したらは?って言ってるかもしれない。それでも、「ちゃんと生きてこ」と言うことは、今の私には切実に、できそうもない。

ジャニオタはこれからも憎まれるだろう。女からはフェミニズムを解さない不届き者として憎まれ*6、男からは低俗な趣味を持つ馬鹿な女と嘲笑されるだろう。

 

意味のないことを6000字くらい書いてみた。なんとなくずっと書きたかったことなので、まあ、結論はなくても、書けただけ良かったとしようと思う。



2021/2/28
スズキアイコ

*1:建前としては堀越の制服破ったかららしいが、じゃあスカート丈の校則破ったら謹慎でええんかという気持ちに私はなった

*2:NEWS, 関ジャニ∞, KAT-TUNあたり

*3:YJが若手だったころは嵐タキツバ含むあの辺の若手から毎週誰かが週刊誌書かれてたくらい多かった記憶がある。それこそ寝顔写真とかめっちゃあった

*4:上に書いたように自分の意見を発信するジャニオタもいるが、今のところジャニオタ内の断裂が深まっているだけで社会の方がそれを認めて受け入れているようには見えない

*5:ボーイズラブの走りみたいなものだと私は理解してる

*6:これはフェミニストが悪いわけでもジャニオタが悪いわけでもないと私は思っていて、そうやって分断を生む社会の構図が憎い

不思議な人 宮近海斗くん

自担たる宮近くんのことが毎秒わからない。わからない、わからない、わからない……と呻きつつもわかりたいオタクはとりあえずテキストにあたってみる。宮近くんのインタビューの中で私にとって印象的だったのは、「SHE THREE」の「多分、僕はなるべくいい人に見られたいんですよね。(略)人からの目線を気にすることで結果的に自分の芯が律されることって結構あると思うんです」など。この辺りを読んで、う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んと唸りながら次の雑誌にあたってみる。すると大体令和ジュニア維新にぶち当たり、このQuick Crewという人のダンスを見れば何かわかるのでは?と考えて、大体またこのダンス動画を見る(もう何回も見てるのに)。


Quick Crew Showcase | BBIC 2017 Bucheon South Korea 2017



すると、あっこれ宮近くんのダンスっぽい、宮近くんってあの曲でああいうことがやりたかったのかも、と思考がそれていき、宮近くんのダンス動画を見て、「は〜〜カッコイイ〜〜〜ラブ」と言って終わる。


Travis Japan 「Happy Groovy」(「ジャニーズJr.祭り 2018」単独LIVE in 横浜アリーナ)


そんなことを繰り返してるから、マジで一生宮近くんのことがわからないままで同じ問いを何度も繰り返してしまうので、宮近くんのことを一回本気出して考えてみようと思う。

と言っても、今までの推しの何を私はわかっていたのか、わかったつもりでいたのか、と考えると、かなり傲慢な気もする。この文章は当たり前に何も正解ではない。ROTについて書いたこの記事でした「語られること」の暴力はこの記事でも私→宮近くんの間で働いている。それは忘れてはならない点である。

 

jys123.hatenablog.com



今までの推しのことを「わかった」瞬間はそれぞれにあるが、何をわかった時に「わかった」と思ったのかというと、「大人になったときはいつか」「何を求めてアイドルをしているのか」という問いに答えられたときのように思う。
「大人になったときはいつか」という問いについて、例えば私は以前

 

jys123.hatenablog.com

 
この記事の中で「自らの半身」であった内博貴さんを失った錦戸さんが、それを失うことを自らに認める過程について考察した。この過程は、「他者が自分と別の人間であると認めること」であり、私は個人的な経験からそれが錦戸さんの「大人になったとき」なのではないかと考えている。
また、「何を求めてアイドルをしている/いたのか」という問いについては、錦戸さんも亀梨さんも「愛」なんだろうなと考えていた。亀梨さんは2006年8?9?月号のnon-noで、「今、欲しいものと言えば愛ですね。冗談抜きで。恋愛や異性愛とか限定じゃなくて、もっと愛が欲しい(略)ココが埋まってない気がずっとしてる」「ただボーッと寝てて、ココを埋めてっていうのは欲張りだし、ワガママだと思うから、たくさんいっぱいの愛で自分を埋めるために、オレは受け身じゃなくて自分のできることをやってるつもり。つもり、じゃなくて、やってる」と語った。また、錦戸さんは2013年あたりの「ボクらの時代」で、四人兄弟の三番目である自分について、「お兄ちゃんはまあ愛されて、一人目やし、二番目もお兄ちゃんで、三番目、多分また男かって感じだったと思うんですよね」「で僕生まれてしばらくして妹が生まれて、もう妹が溺愛されてるのは目に見えてわかるんですよ」と愛への渇望をのぞかせた。
彼らは「愛」を求めて、愛されたくてアイドルをやっていたんだろうな、というのが私の当時の結論だった。

では、宮近くんのことに話を戻そう。宮近くんは、いつ大人になったんだろうか。そして、宮近くんは、何を求めてアイドルをやっているんだろう。

まず、「いつ大人になったんだろう」という問いについて、例えば、錦戸さんのように自分のシンメとの分離が大人になるきっかけだったと考えることはできるだろう。宮近くんは、今は7ORDERのメンバーとして(事務所を独立して)活動している阿部顕嵐くんとシンメだったそうだ。そして、阿部顕嵐くんと宮近くんはTravis Japanとしてだけではなく、Sexy Boyzとしても活動していたので、なるほど内亮の離別のように、「半身がいなくなる」という感覚があってもおかしくない。
けれども、なんというか、ちょっとそれも違う気もしている。宮近くんは顕嵐くんとシンメだった頃の対談で、「顕嵐にはなんか文句は言えない。なぜかは何度考えてもわからないけど、『こうしたほうがいい』とかも絶対に言えない」と語っていて、その文脈はあらちかがシンメであり友だちであり「一緒にいて当たり前の存在」である、という文脈なのに、なんか、「半身」までの依存関係には思えないのだ(新規の感想です)。
そして、「半身」の喪失について、以前の内亮の記事で書いたように、「自分で選択した」という感覚が半身を喪失した自分の引き受けに必要だと思うのだが、この顕嵐くんの喪失について、宮近くんはメチャクチャ受け身だ。顕嵐くんが抜けたことについて、宮近くんは悲しさや寂しさをのぞかせながらも、「でも顕嵐なりに考えて決断したことだったしね。人生は一度きりだし顕嵐のやりたいことを尊重したいなと思って」と語っていた。選択をしたのは顕嵐くんだし、宮近くんは顕嵐くんの選択を受け入れただけ。内亮のときはどちらも望まぬシンメ解体で、「自分に何かができたんじゃないか」という問いが発生したが、顕嵐くんがそのシンメ解体を望んでいる以上は宮近くんにはその自問もできない。
だから、顕嵐くんの脱退は、宮近くんにとっての「半身の喪失」とそれに伴う「大人になること」ではなかったのではないかな〜と思う。
また、当時のジュニアは外野から見ても組み替えが多く、宮近くんは当時のいつメン(宮近、阿部、神宮寺、岩橋、岸。通称MAGIC)でいる時、構って欲しいと「いつモード」に入るとよくからかわれていたが、「いつもみんな一緒にいられるわけじゃないから、いつモードやめた」(出典忘れた)という旨の話をしていた。宮近くんは「人に嫌われたくない」とSHE THREEなどでのぞかせた一面から考えるに、当時からそっくりそのまま依存して失ったら悲しむ!! みたいなことができないタイプだったんじゃないかなーと思う。初めから失うことを想定しているというか、傷つかないように予防線を張っているというか。だからこそ「半身の喪失」をあんな風に受け入れることができたのかもしれない。
じゃあ、顕嵐くんじゃなくって、それ以外の誰かに宮近くんは今もその「半身」を預けられているのかというとそれはまた違うように思う。トラジャには松松以外の現存するシンメがないことで有名だが(シンメ厨の私がよくハマったなと時々思う)、宮近くんの立ち位置は、その中でも「センター」という立ち位置で、それについては宮近くん自身も誇りを持ってやっているようである。
「王道」的なコンビならたぶん「Wカイト」になると思うんだけども、なんというか、この「Wカイト」というの、いつもプラスワンゲストがいるのだ。例えば、顕嵐くんがいた頃は「あらちか+中村海人」が同じ高校で同じグループで、卒業旅行も一緒に行ったとのことである。また今は「トリプルカイト」という枠組みもある。Wカイトと松倉くんの三人は、高校も同級生で入所日も一緒。Travis Japanに松倉くんは後から加入してきたが、この三人は対等同級生!という感じがすごい。
中村くん自身も、宮近くんとの関係を「ずっと同級生でずっと一緒にいた親友とも思っています」と言い、「仕事と親友の間くらい」である今の関係を「寂しい」と言いつつも、「宮近海斗という存在が好きです(手紙では『いてくれるだけでいいです』としている)」と、その関係を「親友」というところまで詰めることを望まない。そして、「海斗がTravis Japanのセンターでがんばっていることすごくすごく、たのもしいです」と言うからには、「シンメ」という関係を望んでいるとも思えない。
他にも宮近くんには「ちゃかまちゅ」や「のえちゃか」などの人気コンビでの見られ方があるが、やはりそのどれもが「シンメ」ではなく、誰かに半身を預けているような重さは感じられない。
じゃあ宮近くんは大人になっていないのかというと、彼は立派に大人だと私は思ってて、ただそれに至るきっかけが見えないんだよな〜〜〜なのでわからんのだよな〜〜という毎日。

次に「何を求めてアイドルをしているのか」という点について。これに関しては、宮近くんが四人兄弟三番目と聞いたとき「ハイきたこれは宮近くんも錦戸亀梨コースの『愛が欲しい』タイプですね?」となった。でもな〜〜んかそれも今は違うような気がする。宮近くんは自分のことをミッキーかアンパンマンか何かだと思ってる節があるというか、こちらに「愛してほしい」とかを望むことなく、「自分がやりたいから、楽しいからやっている」という姿勢を崩さない。何が楽しいのかって、たぶん、この人にとっては「踊ること」なんだろうけど……
それだけでアイドル出来るか?!
アイドル以外にも「踊ること」を本業とする人は宮近くんの周りにもたくさんいるだろうし、アイドルという職業は「踊ること」以外の雑音もつきまとう。辛いことも悲しいことも嫌なこともたくさんあるだろうジャニーズに十年も身を置くことの理由が「踊ることが楽しい」だったら、マジですごい。
でも、他に理由も思い当たらないのだ。
宮近くんは高校三年生のとき(2015年)に「学校の友達もみんな部活とかアルバイトとか受験とか、何かしら打ち込んでいるものがあって、それに刺激されて、『自分は何ができるんだろう?』って一旦立ち止まったんです。ちょうどいろんなお仕事をいただけるようになった時期で、『ここで頑張るしかない』ってちょっと覚悟を決めた(……んでしたっけ?)」(2020年6月号With)のだと言う。例えば錦戸さんが内さんの一件を受けてジャニーさんとメンバーの大倉さんに「頑張るから」と言って上京してきたときのような「選択」ではなく、その宮近くんの「覚悟を決めた」は、「進路を決めた」ようなタイミングに思う。そのとき宮近くんが手にしていた選択肢の中で、ジャニーズが一番実現可能性が高いものだった、だから選んだ、というような選択。
では宮近くんはアイドルを楽な職業だと捉えているのかというと全然そんなことはなくって、Travis Japanのセンターとして凛と立つことのプレッシャーを周囲に漏らしもせず、2019年8月8日のFIRE BEATでは泣かず、Love so sweetで涙目ながらも笑顔を浮かべて、こちらに手を伸ばした。2020年8月10日、間違っちゃいないを泣きそうに歌いながら、歌い終わってけろっとした声で冗談を言った。素顔発売時には「残酷さもエンターテイメントになる」なんてしんどみ10000%の言葉まで残している。

こうやって宮近くんのことを追っていくと、宮近くんのその覚悟や人間性というのは、全くもってテキストでカバーできていない部分なのだなと思う。私がすぐ出典! 出典! 言うタイプのオタクなので出典を求めて三千里している最中だが、宮近くんについての過去の雑誌記事全て読んでも宮近くんのことをわかることができる気はしない。
そして、2013年の「ボクらの時代」がなければ、錦戸さんが四人兄弟の三番目であることにあのような屈託があったことを私は知らなかったし、2012年くらいかな?のMyojo一万文字インタビューまで私たちは10年間、「お前はメンバー想いじゃねえな」っていう言葉があの有名なタッチ(上田・亀梨)喧嘩事件の本当の原因であることを知らなかった、ということを忘れてはならない。必要なテキストはまだ揃っていないのである。これからどんどん増えていくテキストに、私は何度も宮近くんへの理解の変更を迫られるのだ。

そして、必要なテキストをうん十年かけて揃えていったとしても——それだけではきっとこの人のことをわかるには不十分なのだろうという予感がある。宮近くんはきっと何かを語ることは不得手で、その分の思考を行動やダンスでアウトプットする人なんだから、その一つひとつを逃さないようにしたいと思う。全然わかんねえよ〜〜〜というの、結構楽しいじゃん、というのが最近のオタク活動での発見かもしれない。


2021/1/16