自担たる宮近くんのことが毎秒わからない。わからない、わからない、わからない……と呻きつつもわかりたいオタクはとりあえずテキストにあたってみる。宮近くんのインタビューの中で私にとって印象的だったのは、「SHE THREE」の「多分、僕はなるべくいい人に見られたいんですよね。(略)人からの目線を気にすることで結果的に自分の芯が律されることって結構あると思うんです」など。この辺りを読んで、う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んと唸りながら次の雑誌にあたってみる。すると大体令和ジュニア維新にぶち当たり、このQuick Crewという人のダンスを見れば何かわかるのでは?と考えて、大体またこのダンス動画を見る(もう何回も見てるのに)。
Quick Crew Showcase | BBIC 2017 Bucheon South Korea 2017
すると、あっこれ宮近くんのダンスっぽい、宮近くんってあの曲でああいうことがやりたかったのかも、と思考がそれていき、宮近くんのダンス動画を見て、「は〜〜カッコイイ〜〜〜ラブ」と言って終わる。
Travis Japan 「Happy Groovy」(「ジャニーズJr.祭り 2018」単独LIVE in 横浜アリーナ)
そんなことを繰り返してるから、マジで一生宮近くんのことがわからないままで同じ問いを何度も繰り返してしまうので、宮近くんのことを一回本気出して考えてみようと思う。
と言っても、今までの推しの何を私はわかっていたのか、わかったつもりでいたのか、と考えると、かなり傲慢な気もする。この文章は当たり前に何も正解ではない。ROTについて書いたこの記事でした「語られること」の暴力はこの記事でも私→宮近くんの間で働いている。それは忘れてはならない点である。
今までの推しのことを「わかった」瞬間はそれぞれにあるが、何をわかった時に「わかった」と思ったのかというと、「大人になったときはいつか」「何を求めてアイドルをしているのか」という問いに答えられたときのように思う。
「大人になったときはいつか」という問いについて、例えば私は以前
この記事の中で「自らの半身」であった内博貴さんを失った錦戸さんが、それを失うことを自らに認める過程について考察した。この過程は、「他者が自分と別の人間であると認めること」であり、私は個人的な経験からそれが錦戸さんの「大人になったとき」なのではないかと考えている。
また、「何を求めてアイドルをしている/いたのか」という問いについては、錦戸さんも亀梨さんも「愛」なんだろうなと考えていた。亀梨さんは2006年8?9?月号のnon-noで、「今、欲しいものと言えば愛ですね。冗談抜きで。恋愛や異性愛とか限定じゃなくて、もっと愛が欲しい(略)ココが埋まってない気がずっとしてる」「ただボーッと寝てて、ココを埋めてっていうのは欲張りだし、ワガママだと思うから、たくさんいっぱいの愛で自分を埋めるために、オレは受け身じゃなくて自分のできることをやってるつもり。つもり、じゃなくて、やってる」と語った。また、錦戸さんは2013年あたりの「ボクらの時代」で、四人兄弟の三番目である自分について、「お兄ちゃんはまあ愛されて、一人目やし、二番目もお兄ちゃんで、三番目、多分また男かって感じだったと思うんですよね」「で僕生まれてしばらくして妹が生まれて、もう妹が溺愛されてるのは目に見えてわかるんですよ」と愛への渇望をのぞかせた。
彼らは「愛」を求めて、愛されたくてアイドルをやっていたんだろうな、というのが私の当時の結論だった。
では、宮近くんのことに話を戻そう。宮近くんは、いつ大人になったんだろうか。そして、宮近くんは、何を求めてアイドルをやっているんだろう。
まず、「いつ大人になったんだろう」という問いについて、例えば、錦戸さんのように自分のシンメとの分離が大人になるきっかけだったと考えることはできるだろう。宮近くんは、今は7ORDERのメンバーとして(事務所を独立して)活動している阿部顕嵐くんとシンメだったそうだ。そして、阿部顕嵐くんと宮近くんはTravis Japanとしてだけではなく、Sexy Boyzとしても活動していたので、なるほど内亮の離別のように、「半身がいなくなる」という感覚があってもおかしくない。
けれども、なんというか、ちょっとそれも違う気もしている。宮近くんは顕嵐くんとシンメだった頃の対談で、「顕嵐にはなんか文句は言えない。なぜかは何度考えてもわからないけど、『こうしたほうがいい』とかも絶対に言えない」と語っていて、その文脈はあらちかがシンメであり友だちであり「一緒にいて当たり前の存在」である、という文脈なのに、なんか、「半身」までの依存関係には思えないのだ(新規の感想です)。
そして、「半身」の喪失について、以前の内亮の記事で書いたように、「自分で選択した」という感覚が半身を喪失した自分の引き受けに必要だと思うのだが、この顕嵐くんの喪失について、宮近くんはメチャクチャ受け身だ。顕嵐くんが抜けたことについて、宮近くんは悲しさや寂しさをのぞかせながらも、「でも顕嵐なりに考えて決断したことだったしね。人生は一度きりだし顕嵐のやりたいことを尊重したいなと思って」と語っていた。選択をしたのは顕嵐くんだし、宮近くんは顕嵐くんの選択を受け入れただけ。内亮のときはどちらも望まぬシンメ解体で、「自分に何かができたんじゃないか」という問いが発生したが、顕嵐くんがそのシンメ解体を望んでいる以上は宮近くんにはその自問もできない。
だから、顕嵐くんの脱退は、宮近くんにとっての「半身の喪失」とそれに伴う「大人になること」ではなかったのではないかな〜と思う。
また、当時のジュニアは外野から見ても組み替えが多く、宮近くんは当時のいつメン(宮近、阿部、神宮寺、岩橋、岸。通称MAGIC)でいる時、構って欲しいと「いつモード」に入るとよくからかわれていたが、「いつもみんな一緒にいられるわけじゃないから、いつモードやめた」(出典忘れた)という旨の話をしていた。宮近くんは「人に嫌われたくない」とSHE THREEなどでのぞかせた一面から考えるに、当時からそっくりそのまま依存して失ったら悲しむ!! みたいなことができないタイプだったんじゃないかなーと思う。初めから失うことを想定しているというか、傷つかないように予防線を張っているというか。だからこそ「半身の喪失」をあんな風に受け入れることができたのかもしれない。
じゃあ、顕嵐くんじゃなくって、それ以外の誰かに宮近くんは今もその「半身」を預けられているのかというとそれはまた違うように思う。トラジャには松松以外の現存するシンメがないことで有名だが(シンメ厨の私がよくハマったなと時々思う)、宮近くんの立ち位置は、その中でも「センター」という立ち位置で、それについては宮近くん自身も誇りを持ってやっているようである。
「王道」的なコンビならたぶん「Wカイト」になると思うんだけども、なんというか、この「Wカイト」というの、いつもプラスワンゲストがいるのだ。例えば、顕嵐くんがいた頃は「あらちか+中村海人」が同じ高校で同じグループで、卒業旅行も一緒に行ったとのことである。また今は「トリプルカイト」という枠組みもある。Wカイトと松倉くんの三人は、高校も同級生で入所日も一緒。Travis Japanに松倉くんは後から加入してきたが、この三人は対等同級生!という感じがすごい。
中村くん自身も、宮近くんとの関係を「ずっと同級生でずっと一緒にいた親友とも思っています」と言い、「仕事と親友の間くらい」である今の関係を「寂しい」と言いつつも、「宮近海斗という存在が好きです(手紙では『いてくれるだけでいいです』としている)」と、その関係を「親友」というところまで詰めることを望まない。そして、「海斗がTravis Japanのセンターでがんばっていることすごくすごく、たのもしいです」と言うからには、「シンメ」という関係を望んでいるとも思えない。
他にも宮近くんには「ちゃかまちゅ」や「のえちゃか」などの人気コンビでの見られ方があるが、やはりそのどれもが「シンメ」ではなく、誰かに半身を預けているような重さは感じられない。
じゃあ宮近くんは大人になっていないのかというと、彼は立派に大人だと私は思ってて、ただそれに至るきっかけが見えないんだよな〜〜〜なのでわからんのだよな〜〜という毎日。
次に「何を求めてアイドルをしているのか」という点について。これに関しては、宮近くんが四人兄弟三番目と聞いたとき「ハイきたこれは宮近くんも錦戸亀梨コースの『愛が欲しい』タイプですね?」となった。でもな〜〜んかそれも今は違うような気がする。宮近くんは自分のことをミッキーかアンパンマンか何かだと思ってる節があるというか、こちらに「愛してほしい」とかを望むことなく、「自分がやりたいから、楽しいからやっている」という姿勢を崩さない。何が楽しいのかって、たぶん、この人にとっては「踊ること」なんだろうけど……
それだけでアイドル出来るか?!
アイドル以外にも「踊ること」を本業とする人は宮近くんの周りにもたくさんいるだろうし、アイドルという職業は「踊ること」以外の雑音もつきまとう。辛いことも悲しいことも嫌なこともたくさんあるだろうジャニーズに十年も身を置くことの理由が「踊ることが楽しい」だったら、マジですごい。
でも、他に理由も思い当たらないのだ。
宮近くんは高校三年生のとき(2015年)に「学校の友達もみんな部活とかアルバイトとか受験とか、何かしら打ち込んでいるものがあって、それに刺激されて、『自分は何ができるんだろう?』って一旦立ち止まったんです。ちょうどいろんなお仕事をいただけるようになった時期で、『ここで頑張るしかない』ってちょっと覚悟を決めた(……んでしたっけ?)」(2020年6月号With)のだと言う。例えば錦戸さんが内さんの一件を受けてジャニーさんとメンバーの大倉さんに「頑張るから」と言って上京してきたときのような「選択」ではなく、その宮近くんの「覚悟を決めた」は、「進路を決めた」ようなタイミングに思う。そのとき宮近くんが手にしていた選択肢の中で、ジャニーズが一番実現可能性が高いものだった、だから選んだ、というような選択。
では宮近くんはアイドルを楽な職業だと捉えているのかというと全然そんなことはなくって、Travis Japanのセンターとして凛と立つことのプレッシャーを周囲に漏らしもせず、2019年8月8日のFIRE BEATでは泣かず、Love so sweetで涙目ながらも笑顔を浮かべて、こちらに手を伸ばした。2020年8月10日、間違っちゃいないを泣きそうに歌いながら、歌い終わってけろっとした声で冗談を言った。素顔発売時には「残酷さもエンターテイメントになる」なんてしんどみ10000%の言葉まで残している。
こうやって宮近くんのことを追っていくと、宮近くんのその覚悟や人間性というのは、全くもってテキストでカバーできていない部分なのだなと思う。私がすぐ出典! 出典! 言うタイプのオタクなので出典を求めて三千里している最中だが、宮近くんについての過去の雑誌記事全て読んでも宮近くんのことをわかることができる気はしない。
そして、2013年の「ボクらの時代」がなければ、錦戸さんが四人兄弟の三番目であることにあのような屈託があったことを私は知らなかったし、2012年くらいかな?のMyojo一万文字インタビューまで私たちは10年間、「お前はメンバー想いじゃねえな」っていう言葉があの有名なタッチ(上田・亀梨)喧嘩事件の本当の原因であることを知らなかった、ということを忘れてはならない。必要なテキストはまだ揃っていないのである。これからどんどん増えていくテキストに、私は何度も宮近くんへの理解の変更を迫られるのだ。
そして、必要なテキストをうん十年かけて揃えていったとしても——それだけではきっとこの人のことをわかるには不十分なのだろうという予感がある。宮近くんはきっと何かを語ることは不得手で、その分の思考を行動やダンスでアウトプットする人なんだから、その一つひとつを逃さないようにしたいと思う。全然わかんねえよ〜〜〜というの、結構楽しいじゃん、というのが最近のオタク活動での発見かもしれない。
2021/1/16