jonny's 関ジャニ KAT-TUN

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錦戸亮にとって内博貴の喪失とは何だったのか

はじめに

錦戸亮にとっての内博貴の喪失とは、何だったのか。この問題は、錦戸亮内博貴という個別のケースに関する記述を超えていると私は考えている。なぜなら、以前下記記事

 

jys123.hatenablog.com

 

で述べたように、内さんと錦戸さんはまさしくシンメであったからだ。ここでは「シンメの喪失」にこそ、シンメの本質が現れるという論を展開したうえで、錦戸さんが内さんを失ったあとにどのようなキャリアを積んだのか、ということをごく手短に記述した。しかし、これはシンメの本質を表すのには不十分であったと現在は考えている。

シンメというものが「自己を映す鏡」として機能するとするならば、「シンメを失ったあとに錦戸亮が変化した」というのでは不十分である。重要な問いは「どのように錦戸亮が変化したのか」ということだからである。

そこで、この記事では“内亮”というひとつのシンメトリーの喪失を記述することによって、シンメトリーを失ったアイドルは、個人としてどのような変化を経るのか、という問いに答えたい。ひいては、それによってシンメトリーにとっての片割れの存在について、より正確な判断が得られることを期待する。

 

(初めに断っておきますが、これは学術的な論文をまともに書いたこともない学部生の戯言なので、わけわからんわ!というところがあればコメントでやさしく教えてくれると嬉しいです……)

 

内亮のその日まで

まず、内さんと錦戸さんがどのようなシンメトリーだったのか、という点について簡単に見ていこう。

錦戸さんは1997年に入所、1999年に内さんは事務所に入り、2002年に関ジャニ8が結成される。錦戸さんはジュニア時代について話すとき、関西だから、東京だから、というのもはあまり考えていなかった、と語る。彼自身が一人で東京でやっている、という意識があったからだ。しかし、内さん加入後は、内亮はセットで売られるようになり、2003年、NewS(のちのNEWS)が結成された際もこの2人が関西から抜擢された。錦戸さんが2011年にNEWSを脱退して以来、ジャニーズには掛け持ちのタレントは1人もいない*1

しかも、当時の関ジャニ8はCDデビュー前。たとえば、同じようにメンバーのうちの1人がNewSとしてデビューした当時の4Tops(山下智久生田斗真風間俊介、長谷川純)は空中解体したし、関ジャニ8だってその運命を逃れられないと考えるのが普通だ。しかし、(本当にこのときジャニーさんが何を考えていたのかわからないけど)なぜか内亮だけは関ジャニ8を脱退することなく、前代未聞の掛け持ちをこなすようになる。NEWSの序列は当時、山下智久内博貴錦戸亮、K.K.Kitty、テゴマス*2であり、内亮は二番手、関ジャニ8ではツートップとしてグループを牽引する立場にあった。関ジャニ∞は2004年に念願のデビューを果たし、2005年、内亮ははじめての連ドラ「がんばっていきまっしょい」にメインで出演する。 

そしてその日は来る。

2005年7月16日。

内博貴(当時19歳)は未成年飲酒が発覚し、補導される。そして、無期限活動休止を言い渡される。

その後草野博紀(NEWS)の未成年飲酒容疑も発覚し、NEWSは無期限活動休止となるも、関ジャニ∞は活動自体は継続した。錦戸さんは内さんの代役にKAT-TUN田口淳之介を迎えて、ドラマ「がんばっていきまっしょい」を完遂し、その後ドラマ「1リットルの涙」の際にはジャニーさん(とメンバーの大倉さん)に「東京に住んで死ぬ気で頑張ります」と伝え、上京する。

 

とまあ、内さんを失うまでの内亮についてはこれくらいしかわたしは記述できない(だって当時推してたわけじゃないしね)。

 

根源的偶有性

では、ここから本題に入っていきたいとおもう。「錦戸亮にとって内博貴の喪失とは何だったのか」という問いである。

ここで、わたしがこの記事を書くきっかけとなった本について紹介しておきたい。

大澤正幸(2018)「自由という牢獄――責任・公共性・資本主義」(岩波書店)。

 

 

ここで引用したいのは本書の第2章「責任論」で提示される「根源的偶有性」という観念である。

偶有性とは、大澤によると「差異性の様相、『他でもありえた』という様相」のことである。そして、根源的偶有性とは、「固有名によって指示される〈同一性〉と表裏一体になっている偶有性」である。難しいね。

すごく大雑把に言うと、「そうであったかもしれない自分」が根源的偶有性だ。たとえば、“村上信五”はどこで誰と何をしていても“村上信五”である、ということに疑問を持つ人はいないだろう。じゃあその村上信五とは何なのか、と言えば、「関ジャニ∞のメンバー」であり、「月曜から夜更かしのメインMC」であり、「嵐のメンバー」ではない。

しかし、もし村上信五が「嵐のメンバー」であって、「月9主演俳優」だったとしても、村上信五村上信五であることには変わりはない。このような、村上信五村上信五である、というときに考えうる、「嵐の村上信五」あるいは「村上信五だったかもしれない村上信五」が、ここで示されている偶有性である。

通常、名前というのは性質の記述によって語りつくされると考えている。しかし、「関ジャニ∞のメンバー」「月曜から夜更かしのメインMC」「八重歯」などの性質をすべて満たしていたとしてもそれが村上信五であると言えるかどうかについて、疑問の余地はあるのである。

詳しくは、この『自由という牢獄』の第2章「責任論」を参照してほしい。

 

ここで、なぜ唐突に「根源的偶有性」の話をしたのかというと、この根源的偶有性はときに重い罪責感をもたらすからである。

大澤はヤスパースの提示する第4の責任「形而上的責任」が、根源的偶有性ゆえに現れるということを指摘する。この形而上的責任というのは、たとえば「戦争の時代にいたのに自分は死ななかった」ことに対する罪責感を指す。刑法上、政治上、道徳上のあらゆる罪を帰せられる責任がないにも関わらず、自らが責任を負っているように思える。その理由は、戦争で死んだ人と自分との間にそうであることが必然であるような差がないからである。私ももしかしたら死んでいたかもしれないのに、なぜか私は生きている。それがこの形而上的責任をもたらすのだ。

形而上的責任を有効に引き受けることができないときには、人は他のあらゆる責任、つまり私が私であることに帰せられる責任を引き受けることは不可能であると大澤は言う。この本の中では、阪神淡路大震災でいつもより30分早く起きたために2階にいて助かったが、夫が亡くなった女性の話が引かれており、彼女がその形而上的責任を負って離人感覚などの諸症状を経験したことが示されている。

 

ここで私が強調したいのは、形而上的責任は、「私が私であること」と「私が私でないこと」の2つの選択肢があるときに自らその選択肢を選べなかったに由来するということである。むしろ、その選択肢のうちのひとつを暴力的に奪われたことによって、そのときに選択肢があったことを知るのだ。上の例に従うと、30分早く起きたとき彼女は30分早く起きるという選択をしたつもりは毛頭なかっただろう。しかし、いつも通り寝ていた夫が亡くなったことによって、「いつも通り寝る」「30分早く起きる」、というそのときあった2つ選択肢を自覚し、自らが選ばなかったものに従った夫を失ったことについて、まるで「そうであったかもしれない私」を失ったかのように感じるのだ。

 

内博貴のシンメトリーである錦戸亮>と<内博貴のシンメトリーでない錦戸亮>という選択

さて、ここで内さんと錦戸さんの話に話を戻そう。内さんを失ったときについて、錦戸さんは八祭のパンフレット「Dear Eighter..」(2012)

 

 

で次のように述べている。

 

安田:当時、亮ちゃんはメンバーの中でも一番親交が深かったしね。そんな内がああいうことになったって話はどうやって知ったの?

錦戸:ドラマの『がんばっていきまっしょい』の撮影で行ってたロケ先で、マネージャーさんから電話掛かってきて聞いた。内とはさ、関ジャニ∞もNEWSもそうやし、そのときはドラマも一緒にやってたやん。でな、実はその少し前から、理由は忘れちゃったけど内とケンカしてあんまりしゃべってなくてさ…その矢先にそれで。だからその瞬間はムカつくとか、なんなのか、よく分からへんかった。

安田:メンバーの中では亮が一番複雑な心境やねんな、っていうのは分かってたけどね。

錦戸:少ししてからライブの稽古場に内が謝りに来たやん? “初めての連ドラで頑張ってる最中にお前なにしとんねん!”って気持ちとか、やっぱりもちろん内自身のことも心配してたし、いろんな気持ちが爆発しちゃって…本気でしばいてしまった。アイツがやってしまったことはやってしまったことで反省しなくちゃいけないけど、内自身は男前でノリもよかったりさ、ええヤツやん。…とにかくいろんな感情全部まとめて、めっちゃ悔しかってん。

安田:でも怒るのってしんどいやん? だからしばいてる亮も胸が痛かったんやろなと思う。

大倉:あのとき、オレが『やめろ!』って言ったら『お前には分からんやろ!』って言われて、心の中で“確かに分からん”って思ったもん。

 

 

このパンフレットでは全メンバーに内さんの話がふられているが、錦戸さん以外のメンバーは「このピンチをどうやってチャンスに変えるか」という話、または「亮が一番辛かったと思う」という話に終始しており、内さんへの自分自身の感情の話は「2012年現在」の軸では触れられても、当時の時間軸では触れられていない。

しかし錦戸さんはここで、「その瞬間はムカつくとか、なんなのか、よく分からへんかった」「とにかくいろんな感情全部まとめて、めっちゃ悔しかってん」と当時の感情を表現している。

ここで注目したいのは、錦戸さんがこの感情を「よく分からへんかった」と表現している、ということである。自分自身さえも理解できない感情が錦戸さんの中にあった。

 

それは、根源的偶有性が暴力的に奪われたからではないだろうか。

 

通常ジャニーズのタレントは自身のキャリアを選ぶことができない。明日にはドラマ班からMC担当になっているかもしれないし、毎年やっていた舞台だって来年にはないかもしれない。

でもデビュー組には唯一、これだけは疑わずにいてよいものがある。それが、グループとメンバーだ。グループとメンバーだけは(本人たちの意思なくしては)一方的に奪われない。だからメンバーたちはそのグループを絶対視するし、一蓮托生の空気感が生まれるのである。錦戸さんと内さんは、NEWSであることも関ジャニ∞であることも「選べなかった」し、一方的に与えられた道である。しかし、唯一疑わなくてよいもの、激動の中にあった変化しなかったものがあった。それが内さんにとっては<錦戸亮のシンメトリーである内博貴>であり、錦戸さんにとっては<内博貴のシンメトリーである錦戸亮>だった。それだけは、どこにいても、<NEWSの錦戸亮>である間も<関ジャニ∞内博貴>である間も、変化しなかった。

 

しかし、2005年7月16日を境に、<内博貴のシンメトリーである錦戸亮>は一方的に奪われた。

 

その日内さんがお酒を飲まなかったら、内さんをひとりにしなかったら、ずっと前のケンカがなかったら、その日事件がなかったら、内さんは謹慎処分にならなかった。<内博貴のシンメトリーである錦戸亮>はどう考えても継続できたのに、いまの自分は<内博貴のシンメトリーでない錦戸亮>である。その<内博貴のシンメトリーである錦戸亮>も<内博貴のシンメトリーでない錦戸亮>も錦戸さんは選択しえなかった。

分岐点は確かにあった。でもそれを自分は選択していない。

<私>が<私>であることの責任をとれなくなること、それが根源的偶有性の喪失である。錦戸さんはそれを喪失した後も、立ち止まることができなかった。ドラマ「がんばっていきまっしょい」はKAT-TUN田口淳之介にキャストを変えて放送され、錦戸亮の名を日本中に轟かせるきっかけとなったドラマ「1リットルの涙」はその冬に放送された。しかし、<内博貴のシンメトリーである錦戸亮>は錦戸さんの周囲を浮遊していて、そのけじめがついていたとは到底言えなかっただろう。

内さんが研修生として無期限活動休止処分から復帰したときについて、錦戸さんは同じく八祭パンフレットでこう語る。

 

錦戸:オレね、内が復帰した舞台『PLAYZONE ’07 Change 2 Chance』観に行ったんやけど、もう途中から涙が止まらなくなっちゃって、全然観られへんかったもん。『よし、頑張れ』って。あとこれは結果論やけど、あのことがあって“メンバー7人で頑張ろう”ってなれたわけやん? だからあのことがなかったら、今の関ジャニ∞はなかったと思うしね。

安田:それはほんまにそうやね。

 

 

「これは結果論やけど、あのことがあって“メンバー7人で頑張ろう”ってなれたわけやん?」と錦戸さんは語る。それは裏を返せば、「結果論で語れなかった時期」があったということである。錦戸さんは次のように続ける。

 

錦戸:はっきり言って、内のことってあれ以来なんとなくグレーというか、デリケートな感じになってたやん? 取材とかでも内の話をすることはなかったし、聞かれることもなかった。でもこの話はいつかオレの口から絶対せなあかんと思ってたし。きっとこの話をするのもこれが最初で最後やと思うから話せてよかった。だからね、オレはEighterのみんなに言おうと思ってる。「8人目の関ジャニ∞はあなたです」って。もう堂々と言っていくから。

 

ここから、錦戸さんはこの2012年の段階では、もう<内博貴のシンメトリーである錦戸亮>を自己から切り離し、<内博貴のシンメトリーではない錦戸亮>として生きることを引き受けているということがわかる。つまり、錦戸さんは根源的偶有性に由来する形而上的責任を引き受け、私が私であるこによって帰せられるすべての責任を引き受けられる状態になっている。

 

では、<内博貴のシンメトリーである錦戸亮>を自己から切り離すことができたのはいつだろうか。

もしくは、それが可能であるような状況とは、どんな状況なのだろうか。

おそらく、一番てっとり早いのは、2005年7月16日に戻って、<内博貴のシンメトリーである錦戸亮>と<内博貴のシンメトリーでない錦戸亮>を比較検討して、<内博貴のシンメトリーでない錦戸亮>を選び取る、ということだろうが、それは全くもって現実的ではない。

しかし、それは次の逆説的な事実を意味する。つまり、<内博貴のシンメトリーである錦戸亮>が現前したときにはじめて、<内博貴のシンメトリーでない錦戸亮>が選択可能になる、ということである。

そして<内博貴のシンメトリーである錦戸亮>が現前したときが一度だけあった。

それは、「関ジャニ∞ えっ!ホンマ!?ビックリ!!TOUR 2007」(通称:47都道府県ツアー)の東京ドーム公演でのことだった。

7人での47都道府県ツアー、その東京ドーム公演のアンコールのステージに内さんが立ったのである。錦戸さんのツアーTシャツを着た内さんは、「おれたちが最高で最強の関ジャニ∞!!」という例の挨拶を行った。

このときについて、錦戸さんは『関ジャニ∞エイト「えっ! ホンマ!? ビックリ!! TOUR 2007」密着ドキュメント写真集』

 

 

の中で

東京ドームで見た一度は失ったはずの可能性

と表現する。

その後、大倉さんのweb更新での「one for eight」の記載が消えるなど、何かしらの形で「内さんが関ジャニ∞に復帰しない」ということが選択されたと思われる。しかし、ここで重要なのは、誰がどうやってそれを決めたか、ではない。

錦戸さんが東京ドームで、<内博貴のシンメトリーである錦戸亮>、<錦戸亮のシンメトリーである内博貴>を目の前に見ることができた。そして、それを「一度は失ったはずの可能性」として認識している、ということである。

つまり、宙ぶらりんだった<内博貴のシンメトリーである錦戸亮>を再び捉えなおすことができた。彼は自分の根源的偶有性を目の前で把捉して、そして今の自分を自分の責任において選ぶことができた。それが、彼に「だからね、オレはEighterのみんなに言おうと思ってる。『8人目の関ジャニ∞はあなたです』って。もう堂々と言っていくから。」と言わせることができた、理由なのではないだろうか。

 

 

初めの問いに戻ろう。

錦戸亮にとって内博貴の喪失とは何だったのか」。それは、<内博貴のシンメトリーである錦戸亮>の喪失であり、自己同一性(アイデンティティ)の根底を揺るがす問題だった。それはなぜかというと、シンメトリーというものがアイドルにとって唯一の拠り所となりうるにも関わらず、錦戸亮は<内博貴のシンメトリーである錦戸亮>という偶有性を一方的に奪われたからである。

 

しかし、錦戸さんはそれを乗り越えることに成功した。それは、他でもない内博貴がまた錦戸亮と同じステージに立ったからであり、だからこそ彼は<内博貴のシンメトリーでない錦戸亮>を受け入れることができた。

 

シンメトリーというのは、互いにとって唯一無二の存在である。自身の存在の拠り所にもなりうるが、そうである間はそれを自覚しない。だからこそ、片割れを失ったときには、他人に拠らない自己の引き受けが必要となるのであり、その喪失の経験と自己の引き受けは、彼にとって重要な意味を持つと私は信じる。

 

 

 

2019年5月16日

スズキアイコ

*1:NYCは扱いが難しいので置いとくむしろ、グループを掛け持ちしたタレントは内亮とやまちねの2組だけなのだ

*2:森くんはすぐに脱退したのでここには含めえない