jonny's 関ジャニ KAT-TUN

来る日も来る日も

好きなことを好きと言ってみたくなった。

二十歳のとき、何をしていたか?~ジャニーズ篇~

POPEYEの「二十歳のとき、何をしていたか?」特集のオマージュを、ジャニーズでやりま~~~~す!!

 

POPEYE(ポパイ) 2018年 3月号 [二十歳のとき、何をしていたか?]

POPEYE(ポパイ) 2018年 3月号 [二十歳のとき、何をしていたか?]

 

 

 

ハタチってなんなんだろうと思う。大人が言うほどこの1年間はわたしにとって特別な時間ではなかった。たぶん、同世代の誰に聞いたってそうだ。しかも、成人年齢だって18歳になるし、20歳っていうのはただの区切りですらなくなるかもしれない。

 

でも、まあ、若かりし頃の象徴として大人にとっては「ハタチ」って言葉が機能しているんだと思う。

そして、わたしの人生の指針たるジャニーズ事務所のアイドルの皆さん。彼らの青春について知ることは、名だたる企業のOB訪問よりも教授の自分語りよりも先輩の酒交じりの武勇伝よりも、わたしの人生にとっては意味がある気がする。

 

というわけで、さまざまなジャニーズの中からわたしの推したちが20歳の時に何をしていたかをまとめた。POPEYEの「ハタチのころ、何してた?」を自明にオマージュしてる。あの特集は例年3月発売だから、それまでに完成させることを目指した。

今回はわたしが書けるのが推しだけだったので、KAT-TUN関ジャニ∞、(タッキー&翼)、KinKi Kidsについて扱った。また、基本的には現在も事務所にいるメンバーのみを扱っている。本当はインタビューして書けたら最高なんだけど*1、そういうわけにもいかないので、その時期の出来事とかをまとめてます。

 

KAT-TUN

個人的エモフレーズ

「永遠ではないときを一瞬でも無駄にはしないと ここに約束しよう」(KAT-TUN、『Peacefuldays』、2003年)

「いつまでもガキではいたいけど、何も知らない子どもではいたくない」(亀梨和也、『non-no』、2006年8月号?)

 

現メンバー

亀梨和也(1986.2.23)/上田竜也(1983.10.4)/中丸雄一(1983.9.4)

旧メンバー

赤西仁(1984.7.4)/田口淳之介(1985.11.29)/田中聖(1985.11.5)

 

KAT-TUNで最もはやくハタチになったのは、2003年9月の中丸雄一さん、次いで1か月後の10月4日に上田竜也さんがハタチになる。KAT-TUNは結成が2001年なので、3年目のことだ。ちょうど中丸さんがハタチになった11日後、「NEWS」が結成される。このころのジャニーズは4年周期のデビューなどが噂されていて、ここでNEWSがデビューしてしまえばKAT-TUNがしばらくはデビューできないことは明白だった。そこで、亀梨・赤西・中丸の3人はジャニーさんに「どういうことですか」と直談判しに行く。中丸・上田は高校を卒業しており、亀梨・赤西は高校を中退していた。もう、ジャニーズ以外の選択肢がなかった。その意味で、ロバ丸にとってのハタチというのは、揺らぎの一年間だったのかもしれない。ちなみに、この年のKAT-TUNは2回目のコンサート「Ko年もAh TaiヘンThank U Natsu」を成功させ、年末には1st写真集を発行している。

そして、2006年、最年少の亀梨さんが2月23日に誕生日を迎えた、1か月後、KAT-TUNはようやくデビューを果たす。このとき彼らは「ハタチになるまでデビューさせない、みたいな噂があった」と語っており、彼らのデビューは「全員がハタチになった」タイミングと同時だった。そのあとのKAT-TUNは皆さんが知る通りだ。夏の24時間テレビまで死ぬほど売れ続ける。亀梨さん個人としては夏に月9「サプリ」主演、24時間テレビスペシャルドラマ「ユウキ」、北川悦吏子・脚本の土9ドラマ「たったひとつの恋」主演、とドラマどくし、めちゃめちゃ忙しく年8日の休みしかなかった年だった*2。また、10月には赤西さんが留学しKAT-TUNの人気に落ち着きが見られるようになる。

KAT-TUNにとってのハタチは、若者らしい人生への不安とともにあっただけでなく、自らの人生が他人の人生を背負い始める、アイドルとしての責任とともにあったのかもしれない。

 

関ジャニ∞

個人的エモフレーズ

「10年後の今日の日もこの場所で手を繋ごう」(関ジャニ∞、『10年後の今日の日も』、2004年)

「胸にHeavenly Psycho 今は未来に向かう道の途中だ 泪にさえも戸惑うことなく願いを歌う」(関ジャニ∞、『Heavenly Psycho』、2005年)

 

現メンバー

横山裕(1981.5.9)、村上信五(1982.1.26)、丸山隆平(1983.11.26)、安田章大(1984.9.11)、錦戸亮(1984.11.3)、大倉忠義(1985.5.16)

旧メンバー

渋谷すばる(1981.9.22)、内博貴(1986.9.10)

 

関ジャニ∞に関しては、年上組と年下組で分けて考えていく必要があるだろう。

まず、年上組。彼らは2001~2002年にハタチを迎える。しかし、おそらく彼らにとっては不遇の時代だっただろう。「8時だJ」「やったるJ」は前年の2000年に終了しているし、「行け行けイケメン」「怖い日曜日」といったドラマラッシュも前年の2000年、2001年の主演本数は他の年に比べて相対的に少ない。また、2001年は東京で後輩たるKAT-TUNが結成され、人気を博し始め、タッキー&翼は2002年にデビューする。金がなくてパチンコ通いをしていた時期やバイトをしていた時期がこの頃かは不勉強でわからないが、そのような泥臭さの中にあったことだろう。

しかし、村上さんのハタチの終わりごろ、2002年にJ3KANSAIから「関ジャニ8」が結成される。年上組にとってのハタチはまさに充電期間、くすぶりつつもあがいて、もがいて、光を追い求めていた時期だろう。

次に、年下組だが彼の中でも結構年が離れている。いま残っているメンバーだけを検討するにしても、2003年11月に丸山さんがハタチを迎えたころ、大倉さんはまだ18歳だ*3。まず、年上の丸山さんがハタチを迎えたころ、それはもしかすると関ジャニ8としては最も辛かった頃かもしれない。主戦力たる錦戸さんと内さんが2003年9月、NEWSに引き抜かれてデビュー、前代未聞の「兼任」が始まる。このころの関ジャニ8の関ジミ3(丸山、安田、大倉)は個人活動もほとんどなかったため、もどかしい思いをしていたころだろう。しかし、2004年、丸山さんのハタチの後半期に関ジャニ∞は(当初関西限定であったにしても)、デビューを果たす。そしてその翌月安田さんはハタチになり、2カ月後、錦戸さんも誕生日を迎える。その月のうちに関ジャニ∞として初めて東京でのライブを行うなど、関ジャニ∞がようやく日の目を見たかと思われた。しかし、大倉さんが誕生日を迎えて年下3人がハタチとなった2005年7月、最年少メンバー・内さんの未成年飲酒が発覚し、内さんは無期限活動休止に入る。ハタチになった関ジャニ∞メンバーに立ちはだかった壁は「ハタチ」そのものだったのだ*4。年下組にとってのハタチは、夢の背中が見えた瞬間でもあり、それと同時に永遠が存在しないということを突きつけられ、大人になることを余儀なくさせられた一年でもあったのかもしれない。

 

タッキー&翼

個人的エモフレーズ

「I’ll be there for you. 繰り返す旅の中 出会えたこの軌跡を」(タッキー&翼、『epilogue』、2002年)

 

旧メンバー

滝沢秀明(1982.3.29)、今井翼(1981.10.17)

 

今回は現在も事務所にいるメンバーだけ触れていこうと思っていたけれど、タキツバに触れずに「ハタチ」を語ることはできないと考えた。

何せ、このビッグカップル(?)はどちらもソロデビューにふさわしい大きな力を持っていたのにも関わらず、ハタチまでその力を温存させていたのだ。2002年5月には史上初のデビュー前海外公演まで成功させてしまう。おそろしい。そして、9月に「Hatachi」というアルバムでとうとうCDデビューを果たす。KinKi Kids以来のデュエットグループとして、歴史に名を残す存在となる。タキツバの伝説はここからまた新しく始まったのだ。

さて、彼らにとってのハタチというのは、まさしくひとつの区切りだっただろう。彼らがそう捉えていたかどうかはさておき、デビューアルバムのタイトルからもわかるように、大人が彼らのハタチに、世界をまったくあたらしく変えてしまうようなアイドル像を夢見ていたのは間違いない。

 

 

KinKi Kids

個人的エモフレーズ*5

「この頃ぼくは、自分についてよく考えます」(堂本剛、『僕の靴音』、1999年)

「Show must go on」(コウイチ、『MILLENNIUM SHOCK』、2000年)

 

堂本光一(1979.1.1)、堂本剛(1979.4.10)

 

1999年。めちゃめちゃキンキが売れに売れに売れていた頃、同学年の奇跡の2人はハタチを迎えた。光一さんは、ステージの上で。

この年のキンキは、1998年12月22日~1999年1月1日の間続いたライブでは初の東京ドームライブを成功させ、「やめないでPURE」「フラワー」などの大ヒット曲を飛ばした。また、(大人の事情で)正式出演ではないが年末の紅白歌合戦にゲストとして出演し、「フラワー」を披露している。

しかしこのはちゃめちゃしっちゃかめっちゃかに売れている中、彼らは今につながる個人としての活動を開始する。光一さんは「SHOW劇'99 MASK」で主演を務め、のちの「SHOCK」につながるライフワークに踏み出す*6。剛さんは「君といた未来のために 〜I'll be back〜」「to Heart 〜恋して死にたい〜」といったヒットドラマで主演を務めるものの、精神的疲労が限界に近づいていく。98年頃にV6の岡田さんと同居していたと公言しているが、そのころの剛さんと岡田さんはさながら明治時代の文豪で、とても暗かった。時代的にも世紀末、不況、とあまり明るい世相でなかったし、それなのにアイドルに求められるのは明るい歌だった。それらの矛盾、苦しみが、のちの剛さんの創作活動につながったことは、ファンならだれもが知る事実だろう。

彼らは過去を振り返るとき、忙しすぎて昔のことは覚えていないとよく言う。光一さんと剛さんにとってのハタチは、おそらく飛ぶように過ぎていってしまった、ただの1年間であっただろう。しかし、それがひとつ彼らのその後にとって大切な時代でもあった。あの頃むちゃくちゃにはちゃめちゃに頑張って走り抜けた結果がいまの彼らだ。

そうだとすれば、いま自分にできること、与えられる試練に向き合う1年が、KinKi Kidsにとってのハタチだったと言えるかもしれない。

 

 

 

それぞれがそれぞれのハタチを歩んでいるなあと思う。

「うまくいっている」「売れている」ように見える人が、それゆえの苦労を歩んでいることもある。「売れたい」「デビューしたい」というもどかしさを抱えながらぐちゃぐちゃになっていることもある。どちらもが苦悩して、必死になって、考えて、やっと答えにもならない明日にたどり着く。でもそれこそが、彼らの人生にとっての大事なピースとなっているんだな、という印象を受けた。

わたしはハタチの一年間にちゃんと向きあえたのかな~とか考えることができたので、やっぱり推しはわたしの人生の羅針盤だと思う。これから先も迷うことがあれば、彼らがいまの自分くらいのとき、どう生きていたかを指針にして生きていきたい。

 

  

もしどなたか、この特集に興味を持ってくださった方がいらっしゃったら、自分の推しの「ハタチのとき」について記事を書いてくださると私の人生がより豊かになるので、ぜひ、よろしくお願いいたします。

 

 

スズキアイコ、2019.2.22

*1:もし私がインタビュアーで、ブルータスで『平凡』を創れるなら、ぜったいこういう特集組むのに……。あと若い子とJ-FRIENDSやYOU&Jとの対談企画……。

*2:2006年、おしゃれイズム

*3:脱退した内さんに至ってはまだ17歳

*4:内さんの話は前エントリーで結構しているので、気になる人はそちらへどうぞ

*5:うまく選べなかった……

*6:ちなみにこの頃の光一さんエグいかわいいので皆さんほんとに見て