jonny's 関ジャニ KAT-TUN

来る日も来る日も

好きなことを好きと言ってみたくなった。

片割れを失ったシンメたちについての個人的考察

前置き

ジャニーズにおけるシンメトリーとは何だろうか。

これはジャニオタ永遠の課題であり、私にとっても10年近く向き合い続けてきた問いだ。大人(社長含む上層部)がシンメを措定する。シンメをアイドルが名乗る。アイドルはシンメとして歌い踊り笑う。そうして、ジャニオタはシンメを信仰する。あるいは順番が逆なこともある。ジャニオタがシンメを作り出すパターンだ。

しかし、どのような形でできたとしても、私たちは「シンメ」を信仰する。この信仰について、ジャニオタ以外の人の理解を得るのは簡単なことではない。それくらい特殊なものなのだ。

だから、ここで大事なことは「どうやってシンメができたか」という問いではなく、「どうやってシンメが信仰されるようになったか」だ。つまり、「現存する最古のシンメ」ことV6の「坂長」が生まれたころ、そして現在の最新のシンメ「ふまけん」「じぐいわ」あたりのいま、のシンメは気質が違う。この気質の違いこそが、現行のシンメトリーの性質を示していると考える。

そしてその歴史的経緯について、私は次のように考えている。

 

 

付け加えると、中居さんは自ら「自分が思う木村拓哉のシンメ」であることを捨てた、と私は考えている。中居さんは、「SMAPというグループ」、つまり年上2人と他のメンバーという構成を考えたとき、木村さんとの運命共同体としての道を選ばず、距離をとった*1。それは中居さん自身の選択で、間違っているとは思っていなかったと思う。また、間違っていなかったと私も思う。しかし、それが中居さんの中にひっかかっていたことは確かで、だからこそ中居さんはないものねだりのように「シンメ」を信仰した。

「うたばん」でKinKi Kidsが登場した回にその傾向は顕著に表れていて、上で述べているように「ステージ上で手を繋いで死んでほしい」なんて物騒な言葉で「シンメ」=「運命共同体」という信仰を伝えている。し、おそらくその意識はキンキ本人たちの中にも内面化したと思う。

 

それ以降に関しては、ツイートにある通りなので読んでくださればわかると思う。ここで私がとりあげたいのは、シンメ信仰の始まりは「シンメの喪失」であったということだ。「シンメの喪失」こそが「シンメ」の本質を示すと考えられる。したがって、ここでは片割れを失ったシンメたちについて記述することで、シンメの本質を考えていきたい。

 

片割れを失ったシンメたち

やまとま

山下智久/生田斗真(2002-2003)

伝説的ジュニアユニット「4TOPS」のシンメ。代表曲としては「欲望のレイン(KinKi Kids)」など。圧倒的な顔面の良さで滝沢さんをはじめとした先輩に可愛がられた山下さんと、ひとんあつこくダンスも歌もうまかった生田さんのシンメ。稀代の愛されシンメ。2003年に「NEWS」が結成され、山下さんのデビューが決まったとき、ファンの間に広まった衝撃は「斗真がいない」だったと言う。

この2人の関係性は不思議で、先輩・生田さんと後輩・山下さんではあるものの、多くのシンメがそうであるように、先輩後輩を感じさせない親しさをもつ。しかし、それでも山下さんが生田さんを慕う、という面がどうしてか感じられるのが不思議なところ。そして、山下さんは生田さんがいると本当にうれしそうに笑う。いまその様子が見られるのはカウントダウンコンサートなど、限られた場面にはなったが、山下さんにとっての「シンメ」はやはり生田さんなのかもしれない。

「シンメ」を失ったあとの2人については、山下さんは「NEWS」としてデビューし、その後約8年、「NEWS」のセンターを務める。しかし、6人になったあとのNEWSで、「テゴマス」「コヤシゲ」というシンメが顕在化したのに対し、「P亮」はどこかシンメらしくなかった。コンサートで他のシンメがユニット曲を披露するなか、この2人は(人気メンバーだったからかもしれないが)ソロ曲を披露していた。また、生田さんはその後ユニット・シンメを組むことなく、1人で俳優としての道を歩んでゆく。

2人にとっての「シンメ」の喪失は、ある意味で自分にとっての「シンメ」が相手しかいない、ということの証明だったかもしれない。

 内亮

内博貴/錦戸亮(2002-2005)

関ジャニ8(のち「関ジャニ∞」)のメンバーとして、初期センターを務め、NEWSとしてもデビューしたシンメ。ここから錦戸さんの切ないシンメ史は始まった……。

内さんと錦戸さんは、ただしく、2人きりのシンメだった。NEWSと関ジャニ∞の兼任という前代未聞の役柄を走っていたのは2人だけで、その意味でお互いの理解者はお互いしかいなかっただろう。錦戸さんは内さんより先輩だけれど、末っ子根性のある錦戸さんは内さんと先輩・後輩ではなく甘え、甘えられる関係を築いていた。

しかし、2005年、内さんは未成年飲酒でNEWS・関ジャニ∞を謹慎処分になり、その後両グループを脱退する。この2人について、メンバーは8周年のパンフレット「Dear Eighter(2012)」でも、「内が抜けたときは亮が一番辛かったんじゃないかな、とは思う(渋谷)」「(内さんの脱退に関して)やっぱり錦戸はさ、ドラマ(「がんばっていきまっしょい」)も一緒にやってた最中やったし、めっちゃ悔しかったやろなって思うなぁ(横山)」「(ライブ楽屋に謝りに来た内さんを『本気でしばいてしまった』錦戸さんに)オレが『やめろ!』って言ったら『お前にはわからんやろ!』って言われて、心の中で“確かに分からん”って思ったもん(大倉)」と語られ、メンバーからも関係性を特別視されている。

その中でのエピソードはそれぞれ調べて頂くとして、その「シンメの喪失」のあとの2人はどうなったか。まず、内さんは「PLAY ZONE」で復帰を果たし、「一瞬の風になれ」で錦戸さんと共演を果たすも、関ジャニ∞にもNEWSにも復帰せず、ソロでやっていく道を選んだ(または会社の方針がそうだった)。そして、錦戸さんはジャニーズwebで「内頑張ろうな、おれらは待ってるから」と(縦読みで)書くなどしていたが、前述の「Dear Eighter(2012)」では内さんを振り返って、次のように語る。

「(大倉さんには演技上のライバル心はないが)やっぱり内にはあったよ。NEWSのころから“とりあえずオレは、コイツより上に行かなあかん”って思ってた」「内が復帰した舞台観に行ったんやけど、もう途中から涙が止まらなくなっちゃって」「でもこの話はいつかオレの口から絶対せなあかんと思ってた」「だからね、オレはEighterのみんなに言おうと思ってる。『8人目の関ジャニ∞はあなたです』って。もう、堂々と言っていくから」

錦戸さんはここで、内さんというシンメの喪失を、メンバーの喪失として自分の口から語り、分節化した。8人の関ジャニ∞を、自らの手によって、区切りをつけた。自身のキャリアから内さんを切り抜く決断をしたのだ。

赤亀

赤西仁/亀梨和也(2001-2010)

正直、赤亀の始まりをKAT-TUNの始まりとしていいのかはわからない。同期入所で幾度となく雑誌で組まされた上でのKAT-TUN結成だったからだ。

因果な2人のエピソードについては以下の記事でほとんど網羅的に書いたので、どのようなシンメだったのかは以下から推してはかってほしい。

 

jys123.hatenablog.com

この2人は、それこそ「KinKi Kids」に焦がれた、黄金期の典型のようなシンメだった。そもそもKAT-TUN堂本光一のバックダンサーとして結成されたグループであり、(先輩の覚えはめでたくなかったにしろ)「ジャニーズとしてのかっこよさ」はKinKi Kidsの中にこそあった。「Bonnie Butterfly」をはじめとする様々なKinKi Kidsの曲をカバーしていることからもわかるように、彼らはKinKi Kidsによって育ったシンメである。正反対で、仲がいいんだか悪いんだかわからなくて、でも隣に並ぶと圧倒的オーラがある。そんなシンメ。おそらく赤西さんの留学を機にKAT-TUNの人気が落ち着いたことをきっかけに、2トップ売りは鳴りを潜めたが、それでも「DON'T U EVER STOP(2008)」は綺麗なシンメ割りだったし、赤西さんの脱退まで、KAT-TUNにおけるシンメ信仰は続いた。

では、シンメ崩壊のあとはどうなったか。

赤西さんはアイドルという道を違った。そもそも、KAT-TUNの脱退自体が、赤西さんにとってのアイドルの終わりを示していたのかもしれない。つまり、赤西さんにとって、シンメの喪失は、自身のアイドルとしての営みの終焉を示していた。一方で亀梨さんは、赤西さんについて、「KAT-TUNという船も、お互いの夢や目標のため、船に残る者と離れる者に分かれるけど、心は常に繋がっている。絆は変わらない、と思えたんです。(「MORE」2011年4月号)」と語ったり、ライブの制作記者会見で赤西さんの話題ばかり振られることに苦言を呈するなど、いくばくかの特別な関係を見せていたが、2016年からの充電期間を終えたあとは、フラットに見える。また、興味深いことに、同グループから田中さんが脱退し、田口さんがシンメを失ったあとも、亀梨さんと田口さんは1+1の関係を保った。KAT-TUNにおける信仰されるべきシンメは、ずっと変わらなかったということだろう。*2

P亮

山下智久/錦戸亮(2007-2011)

この2人のことは、シンメと呼んでいいのかさえ曖昧だ。しかし、6人だった4年間のNEWSにおいて、他の2組のシンメをのぞいたらやはりこの2人が余るので、必然的にシンメだったのかなと思う。

なぜ、この2人をシンメと呼ぶことに抵抗があるのかは、正直うまく説明できない。山下さんにとってのシンメが生田さんであり続けたのは前述の通りだが、錦戸さんのシンメは内さんというシンメの喪失後、渋谷さんになった。それが渋谷さんであって、山下さんでありえなかったということの意味が論理だてて説明できないのだ。

彼らは同時にNEWSというグループを脱退し、シンメも自然と解消された。しかし、その後2人が共演する場面(昨年「8時だJ」など)を見てもすごくフラットな関係に見える。

この2人は「信仰されるものとしてのシンメ」というここでのシンメの定義に照らし合わすと、シンメではなかったのかもしれない。

でんでん

田口淳之介/田中聖(2001-2013)

KAT-TUNで唯一完全に失われたシンメ。田中さんが2013年に脱退するまでの間、つかず離れずの関係を保ってきた2人である。この2人は、赤亀のように劇的なシンメではなかった。しかし、同じく正反対の2人ではあった。そして、KAT-TUNというグループはシンメがしっかりはっきりしているグループなので、この2人がシンメであったことに異を唱える人はおそらくいないだろう。

では、このシンメの片割れが失われたあとは、どうなったか。その経緯は、田中さんにメンバーが何度も助言をし、しかしそれでも脱退した、という円満とは言えないものだったが、田口さんは赤西さんに対してもそうであったように、感情をあらわにはしなかった。

そして、田口さんは理由を伏せたまま*3、2016年、KAT-TUNを脱退する。前述の通り、それまでの約3年間、田口さんは他のメンバーをシンメとすることはなかった。シンメは完全に失われたまま、KAT-TUNから失われた。

きまずい

渋谷すばる/錦戸亮(200?-2018)

関ジャニ∞での錦戸さんの2番目のシンメ。先輩-後輩でもあり、錦戸さんはすばるさんを敬愛していたし、すばるさんはボーカリストとしての錦戸さんを自分と嗜好の違う、しかし同等かそれ以上の存在として尊重していた。

この2人をシンメと呼ぶかどうかには論争もあるかもしれない。関ジャニ∞KAT-TUNに比べてコンビがはっきりしていないグループでもあったからだ。錦戸さんのシンメとしては安田さんを挙げる人も、丸山さんを挙げる人もいるだろうし、すばるさんは唯一であってシンメではなかったと言う人もいるだろう。

しかし、私は次の2つの理由からすば亮はシンメであったと考えている。1つ目は、「十祭」でのコンビ曲割り。これは「王道」が意識された構成となっており、「ヨコヒナ」「倉安」という組み合わせであり、それに加えて「すば亮」がコンビ曲を歌っている。2つ目は、昨年の渋谷さん最後の関ジャムでの錦戸さんのコメント「すばるくんとは関ジャニ∞でもずっと2人で歌ってきたのでジョンとポールとまではいかないけれど感慨深かった」。錦戸さん自身がすばるさんを自身のシンメと捉えていたということなのではないかと思う。

このシンメの片割れが失われた時、それは関ジャム生放送だった。最後の「LIFE~目の前の向こうへ~」をうたったとき、錦戸さんは大号泣し、すばるさんは涙をにじませながらも最後まで気丈に振る舞った。そして、この放送が終わったあと、錦戸さんは一番にすばるさんにメールを送ったと言う。「これからの関ジャニは僕が引っ張って行きます」。そしてすばるさんはそれを「一生忘れません」と言った。これがすばるさんについて我々が知る最後の言葉で、彼がそのシンメを失ったあとどう生きているかは不明だ。

一方で錦戸さんは、彼に送ったその言葉の通り、「これからの関ジャニ」を作る上でのキーパーソンとなっている。最新DVDの初回限定盤DISC3のドキュメンタリーからもわかるように、音楽的にも精神的にも「すばるさんの欠けた関ジャニ∞」を補完するために大きな役割を果たしている。つまり、錦戸さんはシンメを喪失したあと、現在に至るまですばるさんの存在を自分の中に取り込み、メンバーやファンの中にある穴を埋めようとしている。これは、他のシンメには見られない特徴であり、もしかするとシンメを幾度となく失ってきた錦戸さんだからこそ、見られる傾向なのかもしれない。*4

 

 

タキツバ

 滝沢秀明/今井翼(2002-2018)

昨年解散したシンメであり、グループの「タッキー&翼」。

この2人はわかりやすく、自ら選択したシンメだった。 滝沢さんがソロデビューではなく翼さんとやりたいと声をあげたのは有名な話であり、それによってタキツバはKinKi Kids以来のコンビとしてデビューした。ぎこちない時期があったのも確かだが、お互いをすごく大切にしていて、ド派手な誕生日会は語り草だ。

そして、タキツバというシンメの片割れが失われたとき、つまり、翼さんが芸能界引退を示したとき、滝沢さんは同じく引退を示した。翼のいない芸能界に興味はない。そんな意志は、彼らがシンメであった、しかも信仰されるべき対象という意味でのシンメであったことの証左に他ならない。もしかすると、この20年の間で、最も完璧なシンメはタキツバだったのかもしれない。

 

まとめ

ここまで、片割れが失われたあとのシンメについて記述してきた。

ここでわかったことは、片割れが失われたあと、残されたシンメは変化を余儀なくされるということだ。それは彼自身の脱退や引退を意味することもあるし、他のシンメの発見を意味することもある。いずれにせよ、シンメというのはビジネス上の関係であるにも関わらず、失われたあとはその人のキャリア、ひいては人生に大きな影響を与えているということになる。

つまり、ジャニーズにおけるシンメというのは、信仰されるべき運命共同体としてのシンメである限り、お互いの人生にまで大きな影響を及ぼし合うものである。それは、どのような経緯でその姿になっているかに左右されない。それを左右する要素があるとすれば、2人が上記の意味で真にシンメであったか否か、それだけである。

 

*1:たしか、本人のインタビューか何かで「バランスを考えて距離をとった方がいいという話をした」という文脈があったと思う。出典忘れたけど

*2:余談だが、赤西さんとも亀梨さんとも仲が良かった山下さんは、ふまけん(Sexy Zone)の仲を取り持ったことで知られる。彼の視界にあった赤亀という稀代のシンメが彼の行動にいくらか影響したのではないかと邪推してしまう。

*3:「僕にはアイドルは荷が重かった(Myojo)」とも言及はしているが、曖昧なままだった

*4:すばるさんは内さんの脱退について、「内が抜けたときは亮が一番辛かったんじゃないかな、とは思う」と認識していた。自分が錦戸さんのシンメであるという認識があったとするとそれを再び錦戸さんに与えることを理解していたわけで、それでも選んだ道を可愛い後輩でもあった錦戸さんに「背中を押すしかない」と言われた/言わせたことはどんな痛みを伴っただろう、と考えてしまう。それが分かった上での選択であったにしても